本研究の平成2年度の焦点は、交付申請書に示したように、1918年の制限付婦人参政権成立以後完全な男女平等普通選挙権が成立する1928年までのNUWSSの軌跡を調べることにあった。NUWSSは1919年に解組し、「平等市民権期成協会国民同盟」(NUSEC)という新組織が結成されるが、NUSECの活動は平等選挙権のみならずより巾の広い社会的諸問題にも関わることになるが、明らかにNUSECはNUWSSと連続性をもった後身であった。1918年の選挙権を「第一次分」としてそこにとどまらず更なる運動を展開したことは、大戦勃発とともにほゞ消減したWSPUとの重大な相違であるし、家族手当の要求などの諸政策は、すでにNUWSSの時代に強めてきた労働者階級女性との結びつきを一層強めたものといえる。もちろんNUSEC独自の新たな発展があるが、それは本研究の射程外である。 さらに平成2年度は本研究課題の最終年度であるので、研究成果報告のための論文執筆にも従事したが、その過程でNUWSSについての重要な新しい知見を得た。詳細は報告書の中で示されるが、ここでは2点だけ要点を示す。一つはNUWSSの全期間を通じて会長職にあったミリスント・G・フォ-セットの思想とNUWSSの組織のあり方との関連性の程度を明らかにできたこと。もう一つは、第一段階(1903ー06年)のNUWSSの実証的研究によって1906年当時の同組織が明白な成長を遂げていたことを確認し得たこと。すなわちこの時点でNUWSSは単なる総轄的親組織ではなくなって、加盟支部団体のための政策を積極的に決定していこうとする能動的な中央の核となる組織として立ち現れていたということである。
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