ロ-マ史とギリシア史との類以は実に多いが、影響源の判断は因難である。王政、貴族政、民主政と移り、民主政が衰退した過程は、酷以している。クレタ島で前7世紀の碑文は、ポリスの国制の歴史の貴重な史料とされるが、そこには政務官職の再選禁止期間として、10年間が規定されている。ロ-マにも同じ規定があるが、クレタ島の例は非常に古く、ロ-マがその影響を受けたか、不明である。ア-ケイック時代の最大の特徴は、ポリスの生成と発展、つまり都市化であるが、相互の影響よりも、むしろ独自に文化を発展させたといえる。このような結論は、必然的に両者の歴史を固有なものとして見るべきであるという方向に導く。ロ-マがイタリアを征服したのに、ギリシアにはロ-マに匹敵する国家は出現しなかった。その原因究明は、両者の歴史の単純な比較からだけでは不可能である。それぞれの歴史に固有な内的な条件があった。ただ、今後このような条件は何かを明らかにすべきである。強いて両者の違いを挙げれば、植民市建設の違いである。ロ-マの植民市は、すべてイタリアにあったが、ギリシア人の植民市は、すべて海外植民市であった。ギリシアとロ-マではネクスム、つまり市民が市民を隷従させる慣習の廃止に200年の差があったとして、ロ-マは世紀後れたとの主張(A.ピガニオル、その他)があるが、それほどの差はなかった。 本研究の成果として、ロ-マのイタリア半島の征服と支配の歴史(ア-ケイック時代が含まれる)を叙述した、石川勝二『古代ロ-マのイタリア支配』を出版したほか、成果報告書(B5版、109ペ-ジ)を作成した。 研究代表者は、オクスフォ-ド大学古代史教授ファ-ガス・ミラ-氏の招きにより、平成3年10月より1年間オクスフォ-ド大学において研究する予定である。本邦では入手できなかった文献に当り、イギリスの研究者との討論を通じて、本研究をいっそう発展させる計画である。
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