本研究は、1938年8月26日、戦争勃発6日前に締結されたポーランドとイギリスの同盟条約締結交渉において、両国の諜報機関がもつ情報が政策決定に与えた影響に関する問題を扱うものである。まず、焦点をあてたのは、ポーランドの諜報機関、陸軍参謀本部第二部についてであった。 第二部は、1939年3月以降重点的にドイツ国内に諜報網を広めていく中で貴重な情報を入手した。例えば3月15日のドイツ軍によるチェコ占領については、フランスやその他のヨーロッパ諸国のいかなる諜報員よりも早く、一週間前にはその可能性を報告している。もう一つ例をあげると、ポーランドにとって決定的な意味をもつ独ソの接近に関しても、すでに1938年12月にはその可能性について第一報を発している。 しかしながら、このような第一線の諜報員からの貴重な情報は、第二部内において充分に活用されたとはおもえない。上記の二例についても否定的なコメントがつけられており、ほとんど注目されなかった。またポーランド外交政策決定について外務大臣とならび重要な役割をはたした軍総監も、第二部の活動についてはほとんど興味を示していないことも明らかになった。 ポーランド外交の政策決定者は、イギリスとの接近によってドイツの動きに積極的に対処しようとしたものであると結論づけることは困難である。諜報員達の報告はドイツの危険性を明白にし、警告を与えていた。それにも拘らず、政策決定者達は情報を充分活用できなかったといえよう。以上の詳細は、すでに投稿済である。また今回は触れられなかったイギリス側の事情の調査は、今後の課題としたい。
|