本年度は参考資料の入手に努めつつ、『中外抄』および『富家語』の精密な読解を試み、前書の半分、後書の約三分の一について基本的な作業を完了した。作業は単なる文意の把握に止めず、あらゆる資料を動員して当時の状況を再現し、発言に真意を探ることに意を注いだ。その結果、特に『中外抄』において、当研究代表者自身がかつて指摘していた以上に、忠実の談話内容が当時の時事問題や彼の周辺で生起していた個人的事件と密接に関連していることが明らかとなった。 たとえば、久安4年5月23日条に記された談話の発想の起点と話題の連関性は、下記のごとき事件と連想に要約できる。(1)「四天王寺の錫杖」(同月10〜17日、忠実同寺の参詣)-〈寺の門と修業階程の門の連想〉→(2)「四門の吉凶」-〈建物の吉凶〉→(3)「法興院の馬場の柱」-〈道長の事跡〉→(4)「内院大餐」-〈道長の事跡〉→(5)「法成寺の九体仏」-〈顔の連想〉→(6)「正家相人」。つまり彼自身の最近の経験が発想の起点となり、連想により話題が移行しているのであるが、しかし、ことは単純ではなく、(6)は同月13日に死去した顕業を起点としてその子俊経を想起し、しかも同人が前年末に近衛帝の読書始で侍読を勤めて貴族界を騒がせたことから、堀河帝の侍読正家の事跡に思いが及んだと推定できるなど、連想の糸は幾重にも絡まって複雑を極める。これらの精密な分析は説話文学における発想と転換、説話配列法等の基盤の解明にきわめて有効と思われる。 但し、本研究は未だ半ばにさしかかったところであり、今後は特に保元の乱による忠実自身の境遇の劇的変化が発想や連想のあり方に及ぼした影響等についても考察を加えて、両書の世界を包括的に捉えた研究を発表したいと考えている。
|