本研究においては、まず18世紀イギリス文芸紙の原初的形態が、ニュース報道を主体とする新聞のうちに芽生えていたことを確認した。観察者と田舎者の会話によってニュースを伝える『オブザヴェイター』がそのよい例である。つぎに、基本的には政治評論紙であるデフォーの『レヴュー』が文芸紙の成立に決定的に重要な役割を果したことをつきとめた。『レヴュー』の「ザ・スキャンダラス・クラブ」欄は、礼儀作法改善の意図といい、クラブという場の設定といい、『タトラー』と『スペクテイター』の原型なのである。しかし、この素晴しい思いつきをデフォーは十分利用しなかった。それは、半年余りで消え、かわりに現れた「諸報」欄は、評論本体と同じくあまりに生真面目である。18世紀イギリス文芸紙発展史上における『タトラー』と『スペクテクター』の重要性に関しては、研究者の間で常識になっているが、その意義づけは必ずしも明らかではない。本研究では、この2紙は、一つの着想から、フォリオ半裁版の新聞で可能な最高の表現形態へと次第に発展していったところにあると考えた。そして、それは、他紙との競争によって実現されたと推測した。なぜなら、『タトラー』が誕生したことで、『レヴュー』はますます政治評論紙的になり、反対に『タトラー』は最初もっていた政治評論紙的な性格を捨ててゆき、そのために2紙の共存状態がつくりだされているからである。また、挑戦的な性格の『イグザミナー』の登場により、隔日刊の『タトラー』が廃刊となり、さらに穏やかな性格の登場人物を配した日刊の『スペクテイター』が刊行されてもいるからである。本研究は、最後に『スペクテイター』以後すぐれた文芸紙が現れなかった原因を探り、それを捺印法の成立によって多くの文芸紙が廃刊に追いこまれ、競争状態が消滅したことに求めた。
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