1989(平成元)年末には、さいわい単行本『ミルトンと近代』を出版することができた。ここには筆者が年来、ミルトンと彼をめぐる諸問題について考察してきたことを総括することができた。その時点で筆者の関心は、イギリスよりはむしろ祖国日本に向かい、ミルトンが意識していたような諸問題が日本の思想家のなかに見出されないか、を探ることになった。 筆者は従来、主知主義と主意主義を座標軸としてミルトンが如何なる位置をしめ、彼の思想の発展過程において如何なる軸跡を描いてきたか、を辿ることにたずさわってきた。端的に要約すれば、人間は理性によって神を知りうるか、という設問に対する解答を求めることであった。 「新井白石『西洋紀聞』ー自然神学の可能性についてー」(聖心女子大学論叢75集、平成2年7月)は、わが国最初の西洋学の著書がこの設問に如何なる解答を与えているかの探求であった。自然神学の可能性というより、むしろ不可能性を探り出し、ジョン・ステュア-ト・ミルやバ-トランド・ラッセル、さらにカ-ル・バルトとの類似性を見出すことができた。 「内村鑑三の死生観」においては、彼の長い生涯にわたる死生観の変遷が如何に彼のいわゆる「実験」と密接に絡み合っているかを跡づけようとしている。「悪人減絶」(annihilation)説は、ミルトン『失楽園』における重要な来世観であり、万人救済説に通じるものである点など、内村とミルトンとの興味ある類似を指摘しうる。また、内村の『基督教問答』は、筆者が拙著所収の「カテキズムについて」において指摘した改革者ルタ-の主意主義的傾向をもっており、カント哲学への言及には大いに興味をそそられた。
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