本年度は研究の重点を十八世紀後期に移し、特にSchillerとGoetheについて、一方では十八世紀中期を代表するLessingの市民劇におけるテ-マとのつながりを、他方では両詩人のSturm und Drang期から初期古典主義への発展における一貫性を追跡した。Lessingの戯曲にあっては、その全作品にわたって「人間性」の理念に収斂する市民的理想を中核とする市民意識が育まれるとともに、また、その理想を当時の歴史的現実において実現する可能性が問われていたが、この市民意識の根幹にかかわる問題はSchillerの初期作品の主題を構成していることが解明された。たとえば処女作“Die Ra^¨uber"においては、主要登場人物の四人がそれぞれ、既存の支配体制(啓蒙絶対主義)の政治的・社会的現実に対して可能な四つの対応姿勢を体現している。1.既存の体制内において人間性の理想を実現(der alte Moor)2.良心も人間性も顧みない体制外存在(Spiegelberg)3.体制外存在となり非人間的体制を正す(Karl Moor)4.体制内に留まり、現実の非人間的体制の論理に従って意識的に人間性を否定(Franz Moor)ーこれら四者の破滅は、人間性という市民的理想の実現不可能性を意味しており、この悲劇は市民意識の悲劇にほかならない。なお、処女作以後もSchillerはこの問題を追求し、それは少なくとも古典主義への過渡期の戯曲“Don Carlos"さらには“Uber die a^¨sthetische Erziehung des Menschen"などでさらに深化される。Goetheの戯曲についてもこの主題は初期古典主義の時期まで跡づけられ、特に小説“Wilhelm Meisters Lehrjahre"では主人公の意識がその自己形成の過程で十八世紀における市民意識の歴史的発展の全行程を個人において反復しているという興味深い認識が得られた。
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