「旅」イメ-ジの研究は通時的・共時的な研究である。「旅」イメ-ジは時代によって変遷し、トポロジカルな意味論も時代によって変化するが、その意味論の構成要素は超時間的に次のようにまとめられる。1.ヨ-ロッパ東辺から中央アジア、東アジアにまでいたる、大部分が平坦な広大な国土に起因する独特な空間イメ-ジがあった。2.西欧との文化、文明交流においてはほとんどつねに受容一方の後発国であった。文物の受容・留学見聞のための旅行が貴族生活の重要な1部分となっていた。3.東方キリスト教に由来する非西欧的な文化伝統があり、国内・国外の聖地巡礼の旅が行なわれた。4.ロシア文化には、西欧から移植された都会的な貴族文化と農奴・農民の農村文化の乖離があった。5.抑圧的な政治体制からの逃避のための国内旅行、国外旅行が行なわれた。6.シベリア流刑という独特の処罰方法があった。 18世紀末の旅行文学の2大作、カラムジ-ンの「ロシア人旅行者の手紙」は後世のロシア人に外国旅行のモデルを提出し、ラジ-シチェフの「ペテルブルグからモスクワへの旅」は農奴・農民との触れあいのための国内旅行のモデルを提出した。 「旅」イメ-ジのドミナントは時代的に変化する。ロマン主義時代にはロマン主義時代独特の旅が行なわれた。バイロンの影響を受けたプ-シキンの南方詩群はロシア的な国内逃避の旅のヴァリアントであった。このように時代的に変化する面もあれば、時代的に変化しない面もある。ドストエフスキイの「未成年」には、庶民文化に命脈を保つ巡礼者イメ-ジと、ロシア的「大地」から切り離された知的精神的放浪者イメ-ジとが対立的に用いられている。
|