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1989 年度 実績報告書

博多の町割と宅地割の復元に関する研究

研究課題

研究課題/領域番号 63550455
研究機関鹿児島大学

研究代表者

土田 充義  鹿児島大学, 工学部, 教授 (60037819)

研究分担者 揚村 固  鹿児島大学, 工学部, 助手 (70094117)
小山田 善次郎  鹿児島大学, 工学部, 講師 (00041533)
キーワード太閤町割 / 宅地割 / 間口 / 流(ながれ) / 街路幅 / 入(いり)
研究概要

前年度は博多の町割が短冊型に設計され、海と陸を結ぶ南北街道が主要で、短冊型の長辺方向を占めていた。それが城下町福岡の繁栄に伴なって、陸路の東西街路が重要となり、宅地割に変化が生じて間口を角地において南北街道から東西街路に面することになった。これらのことは博多総鎮守櫛田神社所蔵の宅地割図と文章化された宅地の大きさを基に明らかにしえたことである。
今年度は福岡大空襲後区画整理が行なわれなかった地域の間口を実測し、宅地割図との照合を行なった。しかし、宅地割図と現在との年代的差や実測方法の相違によるのか一致しない。一致しないながらも宅地割の資料を網羅し整理した。この目的は間口の大きさを現在の町家の間口と比較検討することである。巨視的には間口が分割する方向に進んでいることと間口の広い豪商の宅地は角地ではなく、中央に位置し、呉服町や市小路に住んでいたことを把えることができる。
町名の境を町界と称するが、博多の町割において主要な南北街道を中心軸にして両側宅地を帯状に町界を定め、東西街道間に狭まれた区域に1町名を付け、ほぼ中央で町名を何々下、何々上と分ける。南北街道が町界を決めるに重要な役割を果し、南北街道を中心軸にした細長い帯を流(ながれ)と称し、その流を区分けして町名を付け、町名が付く区域は独立せずに流の一部を荷い、流は南北街道と表裏一体をなしていた。それが後になると町の集合が流となり、町の独立性が強くなる。そのために町界の整然さが失われた。この町界は宅地の分割や統合と共に移動し、凹凸の多い町界になったと推定しうる。この変遷を逆に遡及的に追求すると、太閤町割の十町四方は実は十町四筋で、筋は主要な南北街道と流を示すと思われる。博多の町割を解明するにはこの筋が大切であった。筋は街路3間、その道際からそれぞれ30間ずつで合計63間の幅である。

  • 研究成果

    (3件)

すべて その他

すべて 文献書誌 (3件)

  • [文献書誌] 土田充義,小山田善二郎,揚村固: "博多の町割と宅地割-福岡市の都市史的研究7-" 日本建築学会大会学術講演梗概集(九州). 811-812 (1989)

  • [文献書誌] 土田充義: "博多の町割と町家" 民俗建築. 96. 40-49 (1989)

  • [文献書誌] 土田充義,小山田善二郎,揚村固: "博多の町割と宅地割の復元に関する研究" 鹿児島大学工学部研究報告. 32. 50 (1990)

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公開日: 1993-03-26   更新日: 2016-04-21  

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