(資料収集) 今年度は、研究成果の公表に重点を置いたため、収集された資料は必ずしも多くはないが、その中で重要なものの一つは、英国で入手したO.フリッシュとR.パイエルスの1940年の第二メモである。両人はウラン原爆の工学的な構成をはじめて示した提示したメモを作成したことで知られるが、今回入手したメモは、この技術メモに添えられた政策的提言を述べたメモである。この資料の入手は、わが国で最初と思われる。その他に、幾つかの米国の報告書類のうち原著の収集が遅れていたものについても、入手が進んだ。 (資料分析) (1)シカゴ大学冶金研究所の成立過程については、従来不明な点が多かったが、原資料の分析を通じて幾つかの重要な側面、例えば、同研究所が軍事研究所であったにもかかわらず、大学附置となったことによって、それまでの大学内の自治的な研究慣行が維持された、などが明らかにされた。 (2)ロスアラモス研究所での原爆の研究開発過程についても、技術的開発過程を追うことによって、ウラン爆弾とプルトニウム爆弾の開発の競合の基本的過程が明らかになった。その中でとくに重要な点は、初期の砲撃型プルトニウム爆弾、スインマンの開発の挫折とその放棄で(44年夏)、これによって対独使用が技術的に不可能となり、対日投下が決定的となったことが明らかにされた。
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