(資料収集) 今回、新たに入手した文書としては、米国ではロスアラモス研究所関係、英国ではO.フリッシュ、R.パイエルスの第二メモ、仏国ではジョリオ・キュリ-関係のものが代表的なものである。このうち後二者は、本研究でわが国では初めて入手されたもので、原爆問題をそれぞれの国の科学者たちがどのように考えていたかを知るうえで重要な文書である。また、日本の資料にもついても、GHQ関連の文書を入手した。 (資料分析) (1)上記資料の入手により、シラ-ドら米国科学者と、仏、英の科学者の原爆に体する対応の共通性と相違点が明らかにされた。 (2)シカゴ大学治金研究所の成立過程については、従来不明な点が多かったが、原資料の分析を通じて幾つかの重要な側面、例えば、同研究所が軍事研究所であったにもかかわらず、大学附置となったことによって、それまでの大学内の自治的な研究慣行が維持された、などが明らかにされた。 (3)ロスアラモス研究所での原爆の研究開発過程についても、技術的開発過程を追うことによって、ウラン爆弾とプルトニウム爆弾の開発の競合の基本的過程が明らかになった。その中でとくに重要な点は、初期の砲撃型プルトニウム爆弾、スインマンの開発の挫折とその放棄で(44年夏)、これによって対独使用が技術的に不可能となり、対日投下が決定的となったことが示された。
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