研究領域 | 古代アメリカの比較文明論 |
研究課題/領域番号 |
17H05109
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
松本 剛 山形大学, 人文社会科学部, 准教授 (80788141)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | アンデス先史学 / 気候変動と社会 / 人身供犠 / 儀礼 / 多民族共生 / 広場 / シカン / ランバイェケ |
研究実績の概要 |
ペルー北海岸で約千年前に栄えたシカンと呼ばれる社会は、通説によれば、11世紀中頃の気候変動がきっかけとなって支配体制が一時解体し、それに伴って首都のシカン遺跡も放棄され、別の遺跡に遷都したと言われてきた。しかし、我が研究チームによる近年の調査から得られたデータは、気候変動後も遺跡は放棄されなかった可能性を示唆している。本研究では、人類社会と自然環境の関わりを通時的かつ詳細に研究することによって、従来説を見直すとともに、社会の衰退や復興についての新しい説明モデルを構築・提供することを目標とする。 シカンは紀元後950-1100年頃、宗教的な指導者を中心として、漁労や大規模な灌漑農耕、高度な冶金技術、遠距離交易などを基盤に繁栄した。今回発掘が行われたシカン遺跡は、最盛期の首都であったと考えられており、その中心部はピラミッド群とそれに囲まれた大広場と呼ばれる空間からなる。この広場を横断するように、ロロ神殿とベンタナス神殿の間に四つの発掘区を設けた。 発掘の結果、5メートルに及ぶ堆積層断面の詳細な観察と記録により、大洪水やそれに伴う儀礼活動の痕跡が見つかり、その洪水層において非常に保存状態の良い10体の生贄が出土した。これにより、気候変動による社会不安に対し、人身供犠という宗教儀礼によって抗おうとしていたことや、気候変動の後にも遺跡は放棄されなかった可能性が見えてきた。 また、広場の中心近くで多量の副葬品とともに墓が見つかった。興味深いことに、遺体はシカン以前のモチェ文化様式で埋葬されていた。この発見は、シカン社会では複数の民族が共存していた可能性を示唆している。考古学的手法によって社会の多元性を証明するのは非常に難しいとされる中、このような形で発見されるのは極めて珍しいケースであるといえる。 上記の発見は国内外で大きな反響を呼び、新聞やテレビ、ウェブサイトなどで広く世界各地で報道された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
シカン遺跡・大広場での発掘により、大広場の中心には深さ約4メートル、直径約70メートルの大きな窪地があり、大雨や洪水の時期にその最深部で人身供犠が行われていたことが分かった。生贄が出土した発掘区2の発掘は、5メートルに及ぶ堆積層断面の詳細な観察と記録を可能にし、人類社会と自然環境の関わりを通時的かつ詳細に研究するための基礎データを供与することとなった。従来の研究では、衰退期の変化プロセスを説明する際に環境因子を過度に強調した決定論的な議論が目立った。そこでは、近年盛んに議論されている社会・生態系システムの弾力性や回復力といった概念は完全に欠如している。一方本研究では、気候変動による社会不安に対し、人々は人身供犠という宗教儀礼によって抗おうとしていた可能性が浮かび上がってきた。これは従来説に反し、気候変動の後にも遺跡は放棄されなかったことを示唆する。 また、上記の窪地に隣接する東側のエリア(発掘区3)で、冶金工房とその床面に作られた墓と土器や金属製品を収めた立坑が見つかった。興味深いことに、遺体はシカン以前のモチェ文化様式で、シカン上流貴族の墓と同様に、豊かな副葬品とともに埋葬されていた。この発見は、シカン社会では異なる文化背景を持つ集団が調和をもって共存していた可能性を示唆している。このように社会の多元性を考古学的手法によって証明できるケースはきわめて稀である。 以上のように、本研究の「人類社会と自然環境の関わりを通時的かつ詳細に研究することによって、従来説を見直すとともに、社会の衰退や復興についての新しい説明モデルを構築・提供する」という目標を達成するための基礎データが得られた。これによって、社会の衰退から復興までの環境・社会プロセスを長期的に見通し、その動態的な側面に光を当てることができる見通しが得られた。以上をもって、「本研究はおおむね順調に進展している」と結論付けた。
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今後の研究の推進方策 |
今後は大まかに三つの作業を予定している: ① 堆積土壌の分析(2018年8月上旬より):「中期シカン社会は1020年頃から30年間続いた大旱魃とそれに続く大洪水によって経済的な大打撃を受けた後に衰退した」(島田 1991)という従来説は、Thompsonら(1985)によるアンデス山脈のケルカヤ氷河のコア分析の結果に拠るところが大きい。コアに含まれる砂塵や化学成分、氷の同位体の分析は、アンデス地域における1500年の気候変動を一年の時間分解能で示すことを可能にしたが、これによってランバイェケ地方における洪水そのものの年代が測定されたわけではない。ペルー南部高地のケルカヤ氷河とランバイェケの間には直線距離にして約1280キロ、高低差にして約5400メートルもの隔たりがある。そこで、本研究では高知大学海洋コア総合研究センター、株式会社パレオラボ、山形大学高感度加速器質量分析センターらの協力のもと、発掘から得られた堆積土壌の分析によって洪水堆積層そのものを特定する。まず、X線による透過映像を利用して、試料土壌内の堆積構造を解明するとともに、粒度分析や珪藻化石分析によって同一試料の堆積環境を明らかにする。これらの結果を放射性炭素年代測定の結果と組み合わせて、洪水の有無や時期、規模などの詳細を明らかにするだけでなく、洪水の前後の環境や社会の変化からシカンの衰退プロセスをより詳細に論じることを試みる。 ② 第二次発掘および遺物分析(2018年12月下旬より):約二ヶ月に渡って、シカン遺跡の中心部・大広場にて二回目の発掘調査を実施し、昨年度の調査で見つかった生贄(発掘区2)と墓(発掘区3)の発掘を継続する。また、これらの発掘作業と並行して、出土した土器片や動物遺存体の分析も実施する。 ③ 成果発表の準備:上記による発掘成果を積極的に国内外の学会や出版物として発表するための準備を進める。
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