本研究の対象は、先スペイン期後期にペルー北海岸で栄えたシカン政体の最初の首都である。これまで、シカン遺跡を中心に繁栄した中期シカン社会は比較的短命で11世紀末には終焉を迎えたと考えられてきた。従来のシカン研究では、神殿基壇が燃やされたことを一般民衆による反乱の痕跡と見なし、遺跡放棄や社会の衰退の原因を大旱魃や大洪水などの気候変動とそれに続く社会混乱に求めた。しかし近年の調査により、遺跡は放棄されずに気候変動の後も様々な活動が行われたことが分かってきた。本研究では、さらなる発掘と遺物分析によって、従来説を見直すことを主眼とした。 平成30年度は前年度に引き続き、シカン遺跡の中心部に位置する大広場において発掘を行った。その結果、広場の中央部に大きな窪地が人為的に作られ、その中心近くで人身供犠が行われるとともに、その周縁で大規模な饗宴や埋葬、その他の儀礼活動が行われたことが分かった。堆積学や珪藻化石分析の専門家の協力により、従来説が言及する大洪水による堆積層の特定のみならず、洪水の発生回数やその規模の推定、洪水以外のイベント(地震や水塊の形成など)の詳細についても明らかにすることができた。さらに、放射性炭素年代測定法によって綿密な年代測定を行い、大洪水を含む各種イベントの発生時期とその時間的な前後関係を明らかにすることができたことは大きな成果である。従来説が示すように、洪水が起きたことは事実であったが、人々は気候変動に対して受け身でいたのではなく、儀礼的な抵抗を試みていた可能性が高い。 シカンは、A03研究班が対象とする主にペルー南海岸・高地で繁栄した社会とは地理的・年代的に大きく異なるため、独自データの提供を通して、アンデス比較文明論を補完できたことは本研究の大きな意義の一つである。また広場空間への注目は、A02研究班によるメソアメリカ文明研究との間にテーマ的な橋渡しを可能とする。
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