先天的恐怖情動は危機状態での生存確率を上昇させる行動と生理応答を統合誘導する脳の能力として進化したと考えられる。しかし、モデル動物に効率的に先天的恐怖情動を誘発する技術が存在しないため、潜在的な恐怖情動性の生命保護作用の実態は未解明であった。本研究では、強力な先天的な恐怖行動を誘発する人工匂い分子としてチアゾリン類恐怖臭(Thiazoline-related fear odors: tFOs)を開発することでこの技術的な問題を克服し、先天的恐怖が持つ生命保護作用の実態とそれを司るメカニズムの解明を進めた。TFOs刺激は体温、心拍数、酸素代謝を大きく抑制するとともに、免疫応答にも強力な影響を与えることが初めて明らかになった。TFO刺激は脳においてミトコンドリアでの電子伝達系の活性を抑制すると共に、解糖系の活性を亢進することを基調としたこれまでに知られていない代謝変動を誘発することで、活性酸素の過剰発生を起こさずに酸素消費を抑制することが、メタボロームフラックス解析などにより明らかになった。さらに、この代謝の変動を担う酵素とそのリン酸化による活性変化を解明した。これらの作用は活性酸素の発生や過剰な自己免疫を抑制することで危機状態における保護作用を示し、具体的には低酸素障害、脳梗塞などの虚血再灌流障害、敗血症などの複数の疾患モデルに対する強力な治療効果を発揮した。これらの結果などを総合して、先天的恐怖刺激は潜在的な内在的保護能力が発揮される危機対応モードへと生体の状態を遷移させるという新たな概念を提唱したい。本研究などによりこの概念を構成する基本要素の一つである生体保護代謝アダプテーションの存在とそれを司るメカニズムが解明された。
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