水を分解し生物の生存に必要な酸素を作り出す触媒であるMn4CaO5クラスターは、電子の授受に伴ってその構造を巧妙に変化させることで触媒活性を示す。本研究では、機能を発現する上で本質的に重要だと考えられる概念や原理・法則を見出すため、電子の属性である「電荷」と「スピン」に着目して、触媒がどのように化学反応を進めているのかを調べた。その結果、Mnクラスターが外部刺激に応答してその物理化学的挙動を変化させるスイッチング機能をもっていることが判明した。スイッチングは、基質水分子が高い酸化状態にあるクラスターの配位不飽和金属サイトに結合することでトポロジカル構造が異なる構造異性体と金属の電荷状態の間の対応関係が反転する現象を利用して、分子レベルで起こる。この機構において重要な役割を果たしているのが、基本構成原子であるMnイオンの電荷とスピンの可変性である。特に、Mn3+はヤーン・テラー(JT)効果によりeg軌道から生じる極めて強い方向性をもち、配位子の原子軌道と効果的な重なりを形成する。基質が捕捉されてスイッチがONになると、各MnイオンのJT歪みに起因する局所配位構造変化と電荷状態変化が協応し、ある特定の全体構造変化が誘起されることで、JT軸が1つに集まるクラスター内部の疎水空間において金属と基質間の共有結合性が高まる。この協同効果により、基質の結合により引き起こされる金属の電荷状態変化を金属と基質間の多電子移動として効率よく取り出せるようになる。つまり、スイッチ機能により、非常に困難な水の酸化反応を、適切なタイミングで、高い収率で、限りなく低い過電圧で触媒することができるようになると同時に、電荷担体の流れに整流性が発現する。このような触媒・整流器としての作動が分子レベルで可能になるのは、JT効果を鍵要素とする構成原子が「歪んだ椅子」を形成するように配置されているからに他ならない。
|