細胞内シグナル伝達は、細胞レベルの機能調節を行うことによって、個体発生過程における組織の形成だけでなく、組織再生や老化といった現象にも関与しているが、細胞内シグナル伝達という分・時単位の現象が、組織再生や老化といった、日単位、さらに月・年単位の現象へと変換される機構、すなわち、小さな歯車の運動が、大きな歯車の運動に変換されるようなシグナル伝達の時間軸変換の機構は全く解明されていない。本研究では、表皮の再生・老化現象における表皮幹細胞動態をモデルとし、幹細胞内シグナル伝達経路の活性化または減弱化→幹細胞動態変化→組織再生・老化という過程を、EGFRシグナルによる幹細胞動態の変化の速度論的解析と、多細胞間相互作用の物理モデルによる細胞集団動態予測を融合することで、シグナル伝達の時間軸変換の機構を数理的に理解すること、また、マウスの皮膚創傷治癒モデルや老化モデル、さらには糖尿病性潰瘍の臨床サンプルを検証することで、老化や糖尿病による組織再生不全が、シグナル伝達の時間軸変換のどこに起因するかを明らかにするを目的とした。研究を行った結果、EGFRシグナルの活性化によって、表皮幹細胞の遊走能が亢進すること、それには、EGFR活性化によるTissue Inhibitor of Metalloproteinases 1 (TIMP-1)の発現誘導と、TIMP-1による膜タンパク質であるXVII型コラーゲン (COL17A1)の安定化が必要であることが明らかとなった。また老化マウスでの創傷治癒実験を行ったところ、老化マウスでは若齢マウスとくらべ、創傷部でのEGFRのリン酸化程度が減少していた。以上の結果から、加齢による皮膚創傷治癒能の低下は、EGFRシグナル低下による表皮幹細胞の遊走能低下が原因の一つであることが明らかとなった。
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