本研究は、イランのアゼルバイジャン地方のタブリーズ市に注目して、地域社会の構造を考察し、さらに社会における少数派のアルメニア人の位置づけの解明を目的とした。 まず地域社会に少数派の立場を理解する背景として、地域社会に全般に関わる制度的背景を考察することとし、タブリーズとアゼルバイジャン地方を対象に土地制度トユールと呼ばれる土地制度(俸給に代えた税収の下賜)の一端を解明した。 そのうえで、近世・近代イラン社会におけるアルメニア人の位置づけとして、イラン王朝支配下に暮らすアルメニア人の相続を分析した。これまで、アルメニア人については、国際交易に注目があつまり、地域社会のアルメニア人の本研究で注目したのは、改宗したアルメニア人の相続権の問題である。17世紀初めにコーカサス地域からいわばイラン本土に強制移住させられたアルメニア人には当初イスラーム法の適用はあいまいだったとみられるが、それが改宗を促す観点から庇護民(ズィンミー)であるアルメニア人にも適用されるに至った。これがアルメニア人共同体の中での混乱を生み出した。それが19世紀初頭のイラン・ロシア戦争に際して、イラン王朝側は戦争最前線にいるアルメニア人の支持を必要として、さまざまな優遇策を採用した。その一つが相続法の改正であった。相続法はイスラーム法に属し、行政の管轄外であったのに、当初はアゼルバイジャン地方のみを対象に、ある種一方的に行政的に処理したことを明らかにした。今後さらなる研究が必要であるが、この改正相続法は、19世紀後半にはイラン全体に適用されることになったとみられる。 19世紀後半になると、イラン王朝も都市社会を構成する世帯を直接把握しようと試みるようになった。ただし、地方行政府の世帯史料にはアルメニア人は登録されておらず、アルメニア人など庇護民の共同体は別に把握されていたと推察される。この点は今後の課題としたい。
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