ヨルダン南部の銅石器時代遺跡であるハラート・ジュハイラ2遺跡から出土したスプーン形土製品の研究を行った。南レヴァントにおいて、同時期のスプーン形土製品の集成を行い、ハラート・ジュハイラ2遺跡の資料が、ヨルダン北部のガッスル文化の中心地として著名なテレイラット・ガッスル遺跡の資料と類似していることを明らかにした。このスプーン形土製品以外に住居形態やコルネット形土器などのガッスル文化に特徴的な遺物もハラート・ジュハイラ2遺跡で出土しており、同遺跡がガッスル文化の影響を受けていることが明白になった。本研究成果をまとめた論文は国際ヨルダン歴史考古学会議に寄稿済みである。 2020度はコロナ禍でヨルダン調査が困難であることが年度始めから予想されたため、文献史料研究に着手した。バーイル地域が文献にどのように記されているかを調べることに重点を置いた。十字軍がカラクを占拠していた12 世紀後半には、ヨルダンのアズラクからシルハン峡谷を通って、タイマーに続く巡礼ルートが盛んに利用されている。この東ルートについては、アンダルス(スペイン)のアブ・マワーリーによって記された旅行記『東方への旅』があり、1236 年時点の東ルートについての記録がある。この『東方への旅』のデジタル版は一部公開されており、その復元ルート図にバーイルを通る中央ルートが記載されていることをつきとめた。 2020 年度のヨルダン調査は中止したため、外国旅行経費を衛星画像購入に転用した。バーイル地域の衛星画像を入手し、この画像により当該地域5km2 の等高線図を作成した。
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