主に成果が大きかったのが2021年度から開始したキュルテペ遺跡中央トレンチでの発掘調査である。この調査によってキュルテペ遺跡に銅石器時代の文化層が存在する事が明らかになった。日干しレンガ壁からなるジグザグプランの大建築址が確認された。この建築址からは埋納土器、大型炉、柱穴等がみつかり、儀礼に関した機能があったのまもしれない。さらにこの大型建築址は地形的に見ても、その規模は、未発掘部区画を含め、さらに拡大すると思われ、公共建築物の可能性がある。なお、放射性炭素年代測定法によればBC3300年頃である。さらに、2022年に、トレンチ北西部で深掘抗を入れ、地表下約6mまで掘削し、新たな文化層を確認した。この年代はBC3700年頃である。これにより、キュルテペ遺跡の起源が前期青銅器時代にまで遡る可能性がでてきた。 これらの事は西アジアにおける都市化について大きな問題を提起する事になる。従来、都市化のステレオタイプが提起されたのは、メソポタミアである。その前提なるのが農耕生産力である。河川、農地管理を通して、社会が階層化され、都市と共に、支配者と被支配者の関係性ができあがったとされる。翻ってキュルテペ遺跡が位置するカイセリ県近郊を見てみると、今日でも一部の地域を除いて農耕生産力が高くない。また、標高も1000mを超え、天水農耕には適しているものの、冬は寒く降雪量も多い。では、アナトリアおける都市化の要因はどこに求められるのか。農耕以外になにがあるのか。当該地域におけるセトルメントパターンの研究と相まって、我々は、「鉱物」に着目し始めている。 そして考古学的に中央アナトリアにおける都市の起源がメソポタミアと同等、もしくはそれ以前に遡る可能性をキュルテペ遺跡は示しつつある。
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