褐色脂肪細胞はミトコンドリアに富み、酸化的リン酸化を脱共役することで熱を産生する特殊な脂肪細胞で、寒冷環境での体温維持に大きく寄与していると考えられている。さらに、褐色脂肪細胞での熱産生能には大きな個人差があり、これへの遺伝的素因の関与が示唆されている。本課題では、南北の出ユーラシア集団、すなわちベーリンジアを経由してアメリカ大陸へ移住した集団と南太平洋の海洋域に進出した集団で、褐色脂肪細胞での熱産生能が寒冷適応に関係した自然選択を受けた可能性を検証することを目標とした遺伝解析研究を実施した。両地域への拡散の中継地点ともいうべき東アジアのヒト集団500名程度を対象に、PET/CT、赤外線サーモグラフィー、呼気ガス分析法等の複数の手法で寒冷刺激後の褐色脂肪活性を測定、同時にゲノム試料の提供を受けることで、褐色脂肪活性の個人差に寄与するゲノム多型の検出を試みた。その結果、オセアニアのヒト集団でネアンデルタール人からの遺伝子流入の痕跡を残しており、かつこの地域での肥満感受性との関連が報告されている遺伝子の一つであるβ2アドレナリン受容体遺伝子のSNPが褐色脂肪活性に強い影響を及ぼしていることを発見した。一方、これまでの集団遺伝学研究から、グリーンランドのイヌイットや高緯度ユーラシアのヒト集団で寒冷適応に関係した正の自然選択をうけた可能性が報告されているいくつかのSNPについても調査したところ、レプチン受容体遺伝子のSNPでは示唆的な関連が認められるも、概ねすべてのSNPが褐色脂肪活性とは関連していないことが明らかになった。調査したSNPには、グリーンランドイヌイットの寒冷適応進化の候補遺伝子として有力視されていたTBX15-WARS2遺伝子領域も含まれており、この成果は、集団遺伝学証拠のみに基づいてヒトの寒冷適応進化を議論することには注意が必要であることを改めて支持している。
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