本研究では,分子性有機物質である量子スピン液体κ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3 とその周辺物質を対象として,スピン非秩序状態における電荷(ダイマーダイポール)揺らぎ-分子格子フォノン結合によるクラスター化・液晶化形成を低エネルギー分光手法により実験的に明らかにすることを目的としている.2023年度は,同物質の中性子非弾性散乱による電荷,スピン状態と分子格子との結合による低エネルギー分子格子ダイナミクスの測定とその解析,物理モデルとの比較に成果があった.中性子散乱実験はフランス,グルノーブルのラウエ-ランジュバン研究所において2021-22年度にリモート実験によって国際共同研究として実施し,その結果の解析と理論モデルの構築,他の物性報告との対比によって進めた.その結果,この物質で観測される6K異常と呼ばれる種々の物理量に異常が観測される温度よりも高温側では,異常なフォノンダンピングが観測され,その現象説明として,分子ダイマー上に発現する電荷ダイポールによる電荷揺らぎが格子と結合した結果であると結論付けた.一方で6K以下では,フォノン構造が明瞭になり,電荷揺らぎが凍結しフォノンとの結合が弱くなっていることを示唆する解析結果を得た.この観測は6K異常が非磁性低温秩序(VBS)相への相転移であるとする報告とも整合する.これらの結果をもとに,エックス線照射によるランダムネスを導入した試料を準備し,2023年度末に再びラウエ-ランジュバン研究所において中性子非弾性散乱実験を行い,6K異常に対するランダムネスの影響についての研究を進めた.その結果,6K異常はランダムネスにより抑制される一方で,3K以下でリラクサー的なフォノンの緩和現象が観測された.これらの結果から分子ダイマーダイポールが誘起する量子的クラスター,液晶状態の統一的な理解に向けた基礎となる成果を得ることができた.
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