研究領域 | 情報物理学でひもとく生命の秩序と設計原理 |
研究課題/領域番号 |
22H04828
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
中村 修一 東北大学, 工学研究科, 准教授 (90580308)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 細菌べん毛 / スピロヘータ / イメージング / 光応答 / サイクリックAMP / 走性 / 細胞内情報伝達 |
研究実績の概要 |
細菌の運動パターンは,環境刺激(化学物質,温度,光など)を受け取る受容体と,受容体から受け取った信号を処理し,運動器官であるべん毛に伝達する細胞内システムによって制御される.細胞内情報伝達系の中核を担うのはCheYという蛋白質で,CheYを中心とする情報処理機構は,モデル生物である大腸菌でよく調べられている.本研究は,我々が発見した光応答性細菌Leptospira kobayashii E30(以後,E30株)を利用して,CheYだけでは説明できない時空間スケールで起こるべん毛運動制御機構を明らかにするものである.E30の光応答とは,光刺激による直線的な遊泳の誘導である.光を受けない状態では,本菌は並進せずに激しい回転運動のみを示すが,青~緑の光を受けると,光照射後1秒以内に直線的遊泳が引き起こされる.これまでの研究で,E30株が持つセンサーは光活性型cAMP合成酵素であることが明らかとなり,何らかの仕組みでcAMPがE30株のべん毛運動を制御していることが示唆された.我々はこの光活性型酵素LprA(Leptospiral photoresponsive protein A)と名付けて2022年度に論文発表した。その後の予備実験で,cAMP依存的な運動変化が,化学物質に対する誘引応答によく似ているという結果を得た.この結果を踏まえ,E30株の光依存的運動制御に,本株が遺伝子中に持つことが分かっている3つのCheYホモログがどのように関わるのか,あるいはまったく関与しないのかを明らかにする実験を行った.3つのホモログそれぞれに対する遺伝子操作実験によって,LprAを欠損した光応答欠損株でこれらのCheYを恒常的に活性化させると,光刺激とは無関係に直線遊泳が引きこされる場合があるという結果を得た.光応答と走化性シグナル経路の関係を議論する重要な手掛かりである.
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本課題で使用するE30株は,直径が約150ナノメートル,長さが約20マイクロメートルという非常に細長い菌体をもつ.大きさは原核生物と真核生物の境界に相当するが,運動パターンの制御(方向転換)にかかる時間は細菌の代表例である大腸菌と同程度で,1秒以下で運動の方向を切り替える.大腸菌の運動パターンはCheYを中心とする細胞内シグナル伝達系(Cheシステム)で制御されることが分かっている.1マイクロメートル程度の大腸菌細胞内ではCheYの拡散が数ミリ秒でおこるため,CheYの拡散のみで運動制御の時間スケールは説明できる.一方,20マイクロメートルのE30株の細胞ではCheYの拡散には10秒程度を要するため,CheYだけではE30の運動制御を説明できない.それにもかかわらず,E30株の遺伝子内には3つものcheY遺伝子が存在することから,光応答とCheシステムの関係は,早期に明らかにすべき課題であった.CheYはリン酸化することで活性化してべん毛モーターに結合することができ,これにより回転方向を反転させる.標的遺伝子ノックアウト(あるいはノックダウン)の実験については,変異株作製が進まないホモログもあった.我々は,大腸菌の先行研究を参考にしてCheYが恒常的に活性化する変異導入を行い,これまでの研究で得た光応答欠損株(LprA遺伝子を欠失した変異株)に恒常的活性化CheYを導入した.その結果,予備的な結果ではあるが,LprAを持たないにも関わらず,直線的な遊泳を示す株が観察された.しかし,再現性が十分にとれていないため,遺伝子実験についてはさらなる検討が必要である. 以上のように,進展があった一方で,今後検討が必要な課題もあることから,おおむね順調に進展していると判断した.
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今後の研究の推進方策 |
これまでの研究で,新たに発見された光活性型アデニル酸シクラーゼで産生されるcAMPのシグナル経路と,既知のCheシステムの関係が示唆された.今後は,標的遺伝子ノックダウン/ノックアウト実験や,遺伝子改変型CheYホモログの機能解析などを引き続き行う.初めに予備的データの再現性を確認し,cAMPのシグナル経路とCheシステムのシグナル経路の関係を明らかにする. E30株の運動パターン変化は,菌体の変形を伴っておこる.cAMPシグナルおよびCheYシグナルが作用するのはべん毛であるが,E30株のべん毛は菌体外膜の内側にあるため,直接観察することはできない.そこで,菌体の形態変化を指標に,運動変化を定量的に解析する.形態変化の解析は,以前にも我々が行ったことがあるが,時々刻々と変化する形態を定量的かつ任意性なくクラス分けすることはできていない.形態の定量解析のために,今後は,深層学習による画像解析を取り入れることを検討する.既に文字や画像の認識で使われている深層学習のアルゴリズムを応用し,光刺激ならびにcAMP濃度変化に応じて変化する細菌の形態を定量的にクラス分けする.E30株のべん毛は,20マイクロメートルの菌体の両末端に1個ずつ存在する.外部刺激で誘引される両末端の形態変化の時間的相関を解析することにより,2本のべん毛の同期性の有無を調べる.マイクロ流路を利用することにより,細菌運動を1次元的に解析できるシステムの導入も検討する.
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