前年度、J-PARC/MLFミュオン実験施設で実施した酵素反応のミュオン回転緩和(μSR)法による予備的実験から、酵素反応に伴う電子伝達・プロトン移動により生ずる生体内の内部磁場によると思われる現象が観測された。この予備的実験では、酵素反応阻害剤であるリマ豆由来トリプシン阻害剤 (LBTI) とタンパク質を分解する酵素の一種であるキモトリプシンとの複合体を測定試料として用いた。酵素反応を行っているタンパク質のμSR測定データをRisch-Kehr理論で解析を試みたところ、1つではなく2つの緩和振動数を導入する必要があることが判明した。2年目の平成27年度では、この結果を確認するために、キモトリプシン単独の試料による対照実験を行った。J-PARCの度重なるトラブルにより実験が困難なため、スイスのポールシェラー研究所で、キモトリプシンとLBTIとの複合体、さらに対照実験としてキモトリプシン(酵素)単独の試料による外部磁場及び温度を変えたμSR実験を実施した。得られたμSR測定データを久保-鳥谷部関数を用いて解析を試みたところ、キモトリプシン-LBTI複合体(酵素反応あり)とキモトリプシン単独(酵素反応なし)とでは緩和振動数に差が見られた。 以上の結果から、酵素と酵素阻害剤の複合体によるμSR実験では酵素反応を観測している可能性があるもののまだ断定はできない状況である。さらにミュオンは酵素反応の電子およびプロトン移動の様子を探る方法として有用である可能性はあるものの、酵素(タンパク質)の分子構造は複雑なので、ミュオンのタンパク質分子との相互作用(ミュオン捕獲位置)の素過程の確認を含めたさらなる実験を実施する必要性と他の分析法の結果とともに慎重に研究を進めなければならない。
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