私たちは,体験した出来事の記憶を思い出す際に,たとえ昔のことであると理解していても,その出来事をまるで昨日のことのように感じることがある.このような経験的事実は,記憶における主観的な時間感覚は物理的な時間の経過とは必ずしも一致しないことを示唆している.そして,脳の損傷による健忘症患者では,記憶における主観的な時間感覚と物理的な時間との「ずれ」を正しく認識することが困難になり,「作話」と呼ばれる病態を示すことがあることが知られている.本研究では,記憶における主観的時間がどのように記憶の想起に影響を与えるのかの神経基盤を,健常者を対象としたfMRI法と,脳損傷患者を対象とした神経心理学的方法から明らかにすることを目的とした.
本年度の成果としては,主に2つの点が挙げられる.第一に,昨年度から継続して実施した脳損傷後に健忘症を呈した症例を対象とした検証から,作話症状の生起には「時間の見当識」や「注意(作業記憶)」,「言語性長期記憶」の障害が関連していることが明らかにされた.また,作話症状は虚記憶とは関連が薄いことが示された.これらの結果から,作話症状は言語性長期記憶の障害を基盤とし,それに伴って時間の状況認知にずれが生じ,それを現在の状況と照らし合わせてずれを是正することが困難になることが関与するが,必ずしも虚記憶の程度とは関連しないことが示唆された.第二に,fMRIデータの検討から,記憶における時間処理には海馬を中心とする側頭葉内側面領域と,前脳基底部領域が重要であり,それぞれが異なった役割を持っていることが示された.これらの結果から,海馬を中心とする側頭葉内側面領域は,エピソード記憶を構成する様々な要素を「つなぐ」役割を担っているのに対し,前頭基底部領域は時系列の中で連続しているエピソード記憶を「区別する」役割を担っていることが示唆された.
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