2002 Fiscal Year Annual Research Report
日本近世と韓国朝鮮朝初期の政治における知識の形態と意味に対する比較研究:統治者と武士・学者達の見解
Project/Area Number |
01F00165
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
渡辺 浩 東京大学, 大学院・法学政治学研究科, 教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
KIM Youngsoo 東京大学, 大学院・法学政治学研究科, 外国人特別研究員
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Keywords | 朱子学 / 朝鮮 / 江戸日本 / 藤原惺窩 / 林羅山 / 赤穂事件 / 武士道 |
Research Abstract |
私の研究は二つの主題に焦点を置いている。第一は、徳川時代の日本の政治体制の特質を、高麗末期から朝鮮初期の韓国の政治体制と比較しつつ明らかにし、その関連において、徳川時代初期の代表的な朱子学者、藤原惺窩と林羅山の思想・意識を解明するというものです。 日本と韓国が朱子学を受け入れた歴史的背景は違う。韓国の場合、14世紀末仏教が精神的活力を失って、政治的にも乱れた状態から朱子学が新しい理念と政治体制の代案として登場した。朱子学者達の核心的な主張は仏教と違って、世の中での精神的覚醒と国家を中心にする人倫性の実践、そして政治的公共性の回復であった。ところが、江戸日本は戦国時代混乱の中で朱子学が受け入れられた。藤原惺窩と林羅山も同じく反仏教的であり、世の中での精神的覚醒、そして人倫性の実践を主張した。しかし、江戸日本の場合、朝鮮と違って朱子学者ではなくて、武将たちによって政治理念と政治体持が形成された。 第二は、赤穂事件における武士道と倫理です。これは、徳川時代の支配層である武士の政治意識を明らかにするには、赤穂事件が好適な材料になるであろうという見通しによるものです。赤穂事件は江戸日本の政治体制とその支配者達である将軍、大名、侍達の政治意識と倫理意識を非常に明らかに見せる。 赤穂の侍達は主君の名誉のため高家吉良義央を殺した。しかし、幕府の法律『徳川成憲百箇條』33條には、「被討者之子葉ども敵討願ば簿に記し、願に任可申」と決まっている。他方、徳川綱吉の『武家諸法度』第5条には「企新儀結徒党成誓約…禁制之事」と書かれてある。要するに、この規定らは私的暴力行事の禁止として、戦国の混乱を終えて秩序を維持するために欠けてはいけないものであった。しかし他方、侍の根本的な倫理は主君のために死ぬことであった。この倫理は江戸日本の精神を支えた最上の倫理でもあった。忠孝とは最も基本的な上位者、すなわち主君と父母に対する自発的服従を意味するという点で、法とは異なる内的秩序を意味した。 要するに、江戸日本は二つの秩序、すなわち強制的秩序(法)と自発的秩序(義)により政治的生を維持していたことである。朝鮮の場合、最高の倫理は主君のための忠誠でも、法律でもなく、天理であった。即ち、朱子学者の基準は世の中のものでなかった。
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