2002 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
01J05025
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
上田 純子 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 萩藩 / 軍役 / 海防 / 政治的意見 / 諮問 / 国家 / 意見上達回路 |
Research Abstract |
日本近世においては、寛政期以降対外的危機認識の緊張・弛緩を繰り返しつつ幕末を迎えるが、天保期には社会不安の増大や対外的危機認識の深化により、幕府は諸藩に海防をはじめとする軍備の強化を指示する。萩藩においてもこの幕府の触達を受け、軍役遂行のための軍事力再編に取り組み、家臣団の全階層を動員した大繰練を実施した。しかしこの時点では、藩政府は幕府に対する軍役励行を強調し、家臣団に対して直接対外的危機をアピールすることはない。 しかし、嘉永6年(1863)のペリー来航による軍役動員とその後の相州警衛の拝命は、近世の平和の中で単に兵学の師家として存続していた軍法者のみならず平士にまで、軍役遂行のための意見を諮問することになる。その答申は、防御の作戦・軍事力の維持に留まらず、国家(藩)の維持に関わる諸問題に亘っていた。これは、諮問に答えた藩士層に形成されている政治的意見が、軍事問題に限らず広範な課題に渉っていたことを示している。諮問はその意見上達の回路を開いたものである。 安政5年(1858)に兵庫警衛が命じられた際には、藩領域の防衛を理由に軍役拒否の意見が提出され、幕府の軍役体系の中からの意識的な逸脱がみられ始める。このことは、対外的危機を幕府の軍役を媒介としてではなく、国士防衛の観点から直接に思考する主体が現れてきていることを意味する。武士層の政治的意見は、軍事問題を契機として、やがてそれを超えて活性化していったのである。
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