2003 Fiscal Year Annual Research Report
19世紀米国リアリズム文学における倫理的問題関心の表われ方
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01J06057
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
高吉 一郎 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | マーク・トウェイン / ウィリアム・ハウエルズ / ヘンリー・ジェイムズ / ウィリアム・バロウズ / 身体論 / クイア理論 |
Research Abstract |
平成15年度は、三本の学術論文を出版した。『超域文化科学紀要』掲載の英文論文「Queer Cosmopolitanism : A Study」においては、ナショナリティーとセクシュアリティーという異なる範疇に所属する二つのアイデンティティーが相互に補強しあいつつ、強制異性愛に基づいたナショナリズムから逸脱する共同体のあり方やアイデンティティーを排除・抑圧する仕組みを理論的に分析し、その分析結果をヘンリー・ジェイムズの短編小説『デイジー・ミラー』の読解に応用した。「デイジー・ミラー」の読解においては語り手ウィンターボーンが陥る性的同一性の揺らぎと希薄な国民意識のあいだに因果関係があるという新しい読解を提出し、性と人種・国家をめぐる当時の社会言説を参照しながらこのテーゼの立証を試みた。 『アメリカ太平洋研究』に掲載された「マーク・トウェイン『人間とは何か』とウィリアム・ディーン・ハウエルズ『アルトゥルリアからきた旅人』における人間の条件」においては、十九世紀後半の米国写実主義文学を代表する二人の作家が晩年に出版した書物においていかなる「人間観」を提出したのか比較検討した。トウェインは『人間とは何か』において当時流行していた自然主義、社会進化論、功利主義などに影響を受けた人間観を提出し、人間はその本性において利己的な動物であると論じた。一方、トウェインの親友でもあったハウエルズはユートピア小説『アルトゥルリア』において正反対の理論を提出し、人間の本性は協同と他者愛にあると論じた。往年の写実主義小説家がこのような極端で歪曲された人間観を晩年になって提出するようになった理由として、本論文は世紀末米国の極端な競争社会、労働問題、急激な都市化とこれら新しい現実を描写することに長けた新世代の自然主義的作家たちの台頭を指摘。さらには、トウェインとハウエルズが晩年になって陥る非現実主義的傾向は、もはや時流に応じた文学創作を行うことができないと自覚した二人の作家の敗北表明であるとの読みを提出した。 2004年5月に彩流社より出版される論文集『からだはどこにある?』に寄稿した論文「バロウズ、あるいは中毒と方法」においてはウィリアム・バロウズが肉体と言語に示す態度には、その科学的で道具主義的な傾向において、重要な共通点があることを指摘し、その背後にはバロウズ独自の「言語ウィルス」説が存在したことを小説『ソフト・マシーン』の様々な版のあいだの細かい校正上の異同を比較検討することで実証した。
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Research Products
(3 results)
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[Publications] 高吉 一郎: "Queer Cosmopolitanism : A Study"超域文化科学紀要. 8. 75-92 (2003)
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[Publications] 高吉 一郎: "マーク・トウェイン『人間とは何か』とウィリアム・ディーン・ハウエルズ『アルトゥルリアからきた旅人』における人間の条件"アメリカ太平洋研究. 3. 5-25 (2004)
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[Publications] 高吉 一郎: "バロウズ、あるいは中毒と方法"からだはどこにある?:ポップカルチャーにおける身体表象. (未定). (2004)