Research Abstract |
本研究では銅鐸埋納遺跡ならびに同伝承地を再検討し、全国で302遺跡で,430点の銅鐸が出土することを明らかにした。銅鐸の所蔵者調べでは,現在,112点の銅鐸が行方不明である。一方,出土地不詳銅鐸の法量,型式,出所を調査した。この結果,出土地不詳銅鐸は60点である。なお,ニュ-ヨ-ク・メトロポリタン美術館所蔵の銅鐸は法量・型式・欠損部の形状,入手経路などから,兵庫県佐用郡三日月町出土の銅鐸と同一物であることを確定した。また,兵庫県辰馬考古資料館所蔵の銅鐸の一つが高知県伊尾木遺跡出土銅鐸と型式・法量がよく一致するが,情報に乏しく同一物とするまでには至らなかった。 銅鐸埋納状況についても検討した。例えば,奈良県石上銅鐸のように鰭を水平に横倒しにしたとされていたものが,発堀時の欠損箇所などから,鰭を上下にしていたことを明らかにした。こうした結果を集計し,埋納状況が明らかな43遺跡中,鰭を上下にした埋納した例は24遺跡と半数以上を占めること,他は,水平,倒立,直立などであることがわかった。学術調査での出土例の大部分は鰭を上下にしており,銅鐸本来の埋めかたは,鰭を上下に横倒しであったと推定される。また,複数の銅鐸が出土した61遺跡のうち,88%が偶数出土で,奇数出土例は7遺跡にすぎない。兵庫県三日月銅鐸をモデルにした,銅鐸使用場所の追跡では,1.2km離れた徳平遺跡と推定できた。これは銅鐸がムラから遠く離れた場所に埋められたとする通説に再検討を迫るものである。銅鐸埋納遺跡と集落の分布から,他の遺跡でも同様のことが云える。 こうしたことから,銅鐸の大部分は単独で埋納されたが,複数埋納の場合は偶数で,鰭を上下にして横倒しに埋めた例が多いこと,埋納場所は集落からそれほど離れた場所でないと云える。
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