2002 Fiscal Year Annual Research Report
日中親族構造から見た異文化間の衝突の原因と融和の条件
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02F00010
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Research Institution | International Research Center for Japanese Studies |
Principal Investigator |
笠谷 和比古 国際日本文化研究センター, 研究部, 教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
GUAN Wenna 国際日本文化研究センター, 研究部, 外国人特別研究員
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Keywords | 蔭位制 / 婿養子 / 功利主義 / 持参金養子 / 養子願書 / 養子証文 / 身分制 / 人間自身に関する契約 |
Research Abstract |
平成14年度私は、日本歴史上の養子制度、養子の実態及びその文化上の意義を中心として研究を行って、平成14年8月に中国天津南開大学と上海師範大学での国際研究会でその論文を発表した。 日本歴史上の養子は、養父子の血縁や長幼・世代関係及び養子を貰う手続きとプロセスからみれば、平安時代後期律令制の解体と十二世紀鎌倉幕府創立を境界として八世紀前半から律令制の解体まで前期と、鎌倉幕府創立から江戸時代、つまり前近代まで後期との二段階に分けることができる。前期は主に平安貴族、公卿貴族らは数人の子を持っている場合にも頻繁に自らの孫を養子に貰う。すなわち長幼関係・世代関係を無視して、祖父が孫を養子に貰うことが特徴となる。後期は非血縁関係にある異姓養子、すなわち婿養子を貰うことが多く、特徴としては、武士階層は養子願書を、庶民の間は養子証文をもって養父子の関係を確立させる。したがつて本研究は平安時代の養子とその文化の特徴および日本前近代社会の養子と社会の変遷という上・下編に分けて論じた。 上編では、藤原氏家を中心に養子と養父の間の血縁関係及び養子の実父と養父の位階と官職を考察し、平安貴族、特に公卿が孫を養子に貰う理由を探した。また『養老令・選叙令』"五位以上子条"によれば、四位、五位以上貴族の子が蔭位資格を有し、三位以上は孫まで、但し蔭位する時に孫は子より一階を繰り下げる。さらに平安時代に"官位相当制"を実施されていたため、当時の有品親王や内親王及び三位以上貴族の"家"の経済的来源は朝廷から位田、位封、季禄をもらった以外に、また朝廷から官職に応じた職田、職封、資人をも与えられていた。これで貴族は『養老令』中の蔭位制を利用して、血縁や世代関係を無視して孫を養子に貰い、自分の政治勢力を拡大させ一族の人々を国家律令官人に納入するように働きかけ、また経済力を確立させると同時に氏集団の徹底的な解体と"家'の確立を促したのである。また人為的に血縁関係の秩序を調整して法令の規定に付会させ、代々の実利を得ることを目的とするのが平安時代養子制の実質であるように見える。この点で古代の養子制度で生まれた文化は功利主義文化ではないか。 下編では、前近代社会における全男子中の四分の一の婿養子と四分の一の養父、つまり非血縁の養子縁組の実態を考察した。特に武士階層での養子願書と庶民間の養子証文を分析した結果、養父は非血縁養子、主に婿養子と持参金養子との間の関係を人間自身に関する契約により結んだと言える。メインが『古代法』で次のように述べた。「社会を進歩させる全ての運動はこれまでのところ「身分制から契約へ」の運動であると言うことができる」。したがって、その養父と養子との縁組から生まれた人間自身に関する契約関係は前近代社会から近代社会への転換の新しいまた重要的な文化の因子であると看做せる。
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