2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
02F00785
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
佐々木 力 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
WUYUN qiqige 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 外国人特別研究員
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Keywords | 学制 / 和算 / 洋算 / 小学教則 / 珠算 |
Research Abstract |
明治5年(1872)8月の学制の公布が日本近代史において占める枢要な位置に疑問の余地はなかろう。学制の制定、実施、及びその改訂は、その後の近代日本社会・文化にきわめて深刻な影響を及ぼした。それなくしては、近代日本の文化的統一と根源的西欧化もなかった、と言って過言ではないほどある。学制制定過程における小学校数学教育に関する決定、すなわち、数学教育で、伝統的な和算ではなく、洋算が採用されたことは重要な歴史的意味を持っていた。しかし、今までの研究では、学制制定における洋算採用の過程が十分に明らかになったとは到底言い難い。 本研究では、従来の研究について綜合的な考察を行い、学制制定過程に対する研究について抜本的な理解の訂正を求めて、次ぎのような結論を導きだした。第一に、小倉金之助の従来の研究には議論する余地がある。学制の制定において、文部当局が最初に和算を教えるように決まったとは言い難い。第二に、学制は時の文部卿大木喬任とその側近に働くそのブレーンたちによって作成されたが、学制には当時の留守政府の首相格を勤めていた大隈重信の意向も甚大であった。又大隈の重要なブレーンにはフルベッキがおり、彼も学制制定において大きな役割を果たした。第三に、小学教則を作成したのが中小学掛の人たちとは考えられない。それを策定したのはやはり大木とその周辺に働くそのブレーンたちで、フルベッキの意見も大いに盛り込まれていた。第四に、学制は、算術に「洋法ヲ用フ」と規定したが、その実施に当たっては、洋算教師が希少であったという深刻な現実的問題が存在していた。そのため、明治6年から7年にかけての相次ぐ3通りの文部省布達によって、珠算が小学校算術教育に復活された。珠算の復活にはその社会的文化的な要因があった。そして、珠算の復活は新たな意味での、洋算と連携した形態での復活であって、けっして従来の伝統的な珠算ではなかった。
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Research Products
(2 results)