2004 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
02F02765
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
片柳 榮一 京都大学, 文学研究科, 教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
HENTRICH Thomas 京都大学, 文学研究科, 外国人特別研究員
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Keywords | 古代イスラエル / 清浄 / 遊牧生活 / 分離 / 神性の現臨 / 祭儀 / 悪霊 / 人間の行為 |
Research Abstract |
古代イスラエルの清浄と不浄についての観念について考察した。古代イスラエルの清浄法はレヴィ記11章以下に述べられている。その清浄についての律法は遊牧生活における伝染への恐怖に基づいて作り出されたものと考えられている。疾病は種族から分離され、隔離されねばならなかったのである。清浄さとは、人、場所、事物を、祭儀に参加し、神性の現臨に与えることを可能にする状態と規定される。不浄さの源泉は次のようなものである。 1動物(浄い不浄) 2出産 3皮膚病 4家屋の黴 5漏出 6性的ふしだら などである。 これまで古代イスラエルにおける清浄さの観念についての理論は主に三つある。一つは19世紀のW.R.Smithの考えで、不浄さとは主なる神ヤーヴェにとって憎むべきもののことであり、神性に関わらねばならないあらゆる人が避けねばならないものであるとする静的でヤーヴェに志向を定めた考えである。何が、誰が不浄であるかの決定は、ただヤーヴェとの関係に従ってなされる、いわば主観的なものであり、それが疑問視されることはないとされる。第2はB.Levineのもので、周囲の古代近東の宗教における状況を考慮に入れようとする。当時の他のカナン宗教と同様、様々な病気の原因を真の神性の外の汚れた悪霊に帰因させる。第3は、M.Douglasのもので、不浄さの状態は、神ヤーヴェの民への関係の統一を損なうものであると人々は考えていたとする。このような考えの根底には統一全体=清浄、分裂隔離=不浄という二元論的な見方があることになる。だから人間の行為は、意図するとしないとに関わらず、神の創造の業の清浄さを損傷しうることとなる。この傷を受けた状況を回復しうる唯一の道は、浄めの儀式である。この第3の見解は、清浄の問いに関わる現代の研究の基礎を形成したものであり、我々の研究もこれを参照しなければならない。
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Research Products
(1 results)