2002 Fiscal Year Annual Research Report
11〜13世紀アンダルス(イスラーム・スペイン)における暦と祭
Project/Area Number |
02J02223
|
Research Institution | The Toyo Bunko |
Principal Investigator |
佐藤 健太郎 財団法人東洋文庫, 研究部, 特別研究員(PD)
|
Keywords | マウリド / 祭り / スーフィー / ウラマー / ビドア / イスラーム法学 |
Research Abstract |
まず,ビドア(原初のイスラームにない新奇なもの)に関する議論を検討し,シャーティビーのようなマウリド(預言者生誕祭)批判論者にとってビドアとは唯一の立法者=神の権威を脅かすものであり,一部の法学者のように「善きビドア」の存在は認められないことを確認した。そのうえで,2003年5月にスペインで開催される国際会議で発表するため,当初の予定を一部繰り上げて,マウリドに対する法学者の見解及びスーフィーとのかかわりについて検討し,マウリドの是非をめぐる議論は,もっぱらスーフィーによるものを対象としており,スーフィー批判・擁護の議論と密接に結びついていることを明らかにした。例えば,マウリド批判論者にとってはマウリドという儀礼行為は新奇なビドアであること,そしてそれがスーフィーのイニシアティブで行われていることが批判の対象となっている。これは,信徒たちの信仰を導くのは法学者なのかそれともスーフィーなのかというより広い議論の枠内にマウリドが位置づけられていることを意味する。一方,マウリド擁護論者には著名なスーフィー兼法学者を何代にもわたって輩出してきた名家の出身者が目立つ。彼らの議論からは,マウリドを擁護すると同時に祝祭につきまとう規範からの逸脱行為を戒めることで,スーフィズムとマウリドとをイスラーム法の枠内におさめようという意図が見て取れた。また,スーフィーとのかかわりとは別にマウリドと国家とのかかわりについても検討し,スーフィズムやシャリーフ(預言者の子孫)崇敬の高まりを背景にフェスのマリーン朝が支配の正当性を主張するためにマウリドを活用したことを確認したが,この点についてはさらに検討を続けたい。また,グラナーダの法学者よりもフェスの法学者の方がマウリドを擁護する傾向が見られるが,これも国家行事としてのマウリドの議論とも関連すると思われるので,同じく今後の検討課題としたい。
|