2004 Fiscal Year Annual Research Report
11〜13世紀アンダルス(イスラーム・スペイン)における暦と祭
Project/Area Number |
02J02223
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Research Institution | The Toyo Bunko |
Principal Investigator |
佐藤 健太郎 財団法人東洋文庫, 研究部, 特別研究員(PD)
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Keywords | マウリド / 預言者生誕祭 / 祭 / スーフィズム / マリーン朝 / セウタ / ハフス朝 / ナスル朝 |
Research Abstract |
まずイブン・アルハティーブやイブン・マルズーク・ジャッドといった14世紀西方イスラーム世界の諸宮廷に仕えた文人たちの記録を通して,君主の主催する宮廷における預言者生誕祭の様相を検討した。その結果,そこには,君主の威光を強調し臣下たちの序列を再現するという宮廷行事にしばしば見られる特徴に加えて,ろうそくやランプの明かりと焚香や香水の香りに満たされた空間の中で,旋律にのせて預言者生誕讃歌(マウリディーヤート)が朗詠されるという演出が共通して見られることが分かった。また祭典の場にはスーフィーたちも出席しており,これらの演出は明らかに彼らのサマーウ(音曲を伴う修行)の集会から影響を受けたものであろう。ここには光・香・音といった感覚に直接うったえかけるような形での信仰の表現形態を希求する当時の君主たちの指向が見て取れる。このようなスタイルの預言者生誕祭はフェスのマリーン朝宮廷を発信源としてアンダルスを含む西方イスラーム世界各地に拡散したが,その受容の仕方はさまざまであり,チュニスのハフス朝のようにマリーン朝との友好関係を強調するために導入されながらも,音曲を伴うことへのウラマーたちの反感ゆえに国内支配の強化という点では支配者に貢献しなかった例もあった。 また,昨年度に検討したアザフィー父子による預言者生誕祭奨励の書『連ねられた真珠』については,市中の祭りに対するウラマーの側の統制という観点から再検討を試みた。その結果,アザフィー父子が批判する異教の祭に見られた要素のうちコーラン学校に集う子供たちに対するご祝儀という現象が,アザフィー政権下でも子供たちによる預言者頌詩の朗唱に対する対価という形で残存していることが分かった。このように市中の祝祭を換骨奪胎したことは,アザフィー父子が民衆たちの祝祭にイスラーム的な意味を付与することで,ムスリムとキリスト教徒との境界線を明確しようという意図のあらわれであると思われる。
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