2002 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
02J03611
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Research Institution | Tokyo Metropolitan University |
Principal Investigator |
河田 健太郎 東京都立大学, 人文科学研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 道徳実在論 / 徳の倫理 / 反基礎づけ主義 / 人格的発達 / 知としての倫理性 / 価値語を使用しない倫理 / 人生全体という観念 / アリストテレス |
Research Abstract |
今年度おこなった研究は、道徳実在論における「道徳的である」ということはいかなる事柄であるか、ということと、道徳実在論の特徴の一つである反基礎づけ主義的な知識観、の2点である。第一は、一般的に道徳実在論に想定されている「勇敢さ」「残忍さ」といった諸価値の実在性の主張が、実在論の根底にまで至っていないことを示すことにある。こうした主張をおこなう際ひとは、勇敢さとそれに割り当てられるような事実を暗に想定した上で、勇敢さという性質が、事実に付与されるものかどうか問うている。しかし、この事実自体が何故そのような事実として認識されたかを問うならば、すでにそこに「道徳的であること」が見い出されていなければこうした主張自身に意味がないことは明らかである。私の考えでは、道徳実在論は一切の価値を含まない事実によって語られる世界に対しても可能なものである。その価値の含まれていない事実においてさえすでに働いている道徳性を問題にしてはじめて実在の認識に道徳性が深く刻まれていることが明らかになると思われる。第二は、倫理的「知識」であるためには外的正当化が必要であり、それが不可能であるために「知識」であることを断念するウィリアムズの立場と倫理性そのものの外部からの正当化は可能であるに同意しながらも、知識の可能性を論じるマクダウェルの立場(道徳実在論)を比較検討するものである。道徳実在論は、人が自らの人生の外部に立つことがなくても、そのただ中でみずからの誤まりを知る。つまりひとつを知を得ることが可能であると主張する。その可能性こそ人が、自分の思いどおりの生を生きるわけではないことを保証するものである。これら2つの研究については現在、論文として作成中である。
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