2004 Fiscal Year Annual Research Report
国王独裁対軍団運動-1930年代ルーマニアにおける権威主義体制とファシズム運動のダイナミクス-
Project/Area Number |
02J06975
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
藤嶋 亮 東京大学, 大学院・法学政治学研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 軍団運動 / 鉄衛団 / ファシズム / 権威主義体制 |
Research Abstract |
本研究は、戦間期ルーマニアにおけるファシズム運動(軍団運動)と権威主義体制(国王独裁)の間のダイナミクスの解明を目的としている。比較の視座から見た場合、次の二つの問題が重要である。第一は、軍団が国王独裁下においてもその潜在力を維持し、1940年6月以降は政権参加を果たした理由。第二は、軍団が1940年9月に「国民軍団国家」を樹立し、政権の中核を担うことができた理由。まず、軍団が潜在力を維持した理由であるが、以下の三点が指摘できる。第一は、軍団が創設以来一貫して統治権力と緊張関係にあり、四度にわたる非合法化を経験し、地下活動に習熟していたことである。加えて、第三帝国という強力な亡命先/庇護者の存在も重要であった。それと関連し、第二は、第三帝国の間接的影響力である。1938年以後の第三帝国の東欧への進出により、ルーマニアも自発的に国内体制の「ファシズム化」へと傾斜したが、その重要な手段の一つが軍団の「抱き込み」であった。第三は、国王独裁体制の脆弱性である。国王独裁は、旧二大政党から成る強力な「脱法的反対派」と、軍団というこれも強力な「非合法反対派」に直面した。前者の「切り崩し」に挫折して、軍団の「抱き込み」を余儀なくされたが、軍団は、表面上は体制内の「準反対派」を装いつつも、実態は体制に根本的に挑戦する「非合法反対派」のままであった。次に、「国民軍団国家」成立の理由であるが、決定的要因は、国際的要因、ソ連・ハンガリー・ブルガリアへの領土割譲による、「大ルーマニア」の崩壊であった。この結果、国内の政治空間は「権力真空」状態に陥り、これを埋めたのが、反国王派の急先鋒で大衆動員力をもつ軍団運動と、実力装置の軍(アントネスク将軍)であった。この後、1941年1月に軍団は政権から排除され壊滅するが、この時点では、領土喪失による軍の威信低下を補うとともに、全体主義的意匠をこらすためにも、政権には不可欠であった。
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