2003 Fiscal Year Annual Research Report
戦後日本の安全保障政策-「吉田ドクトリン」の形成過程、1945-1952年
Project/Area Number |
02J09390
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
楠 綾子 神戸大学, 大学院・法学研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 日本政治外交史 / アメリカ外交史 / 冷戦 / 吉田茂 / 安全保障 |
Research Abstract |
本研究の目的は、1945年から1950年代前半にかけての時期に、安全保障の大部分を米国に依存しつつ、自衛力を漸進的に増強するという戦後日本の安全保障政策-「吉田ドクトリン」-が、日米間の相互作用のなかから形成された過程を明らかにすることである。研究第二年目の本年度は、前年度にひきつづいて日米両政府における安全保障政策の政策決定過程についての事実関係の確定をさらに進めるとともに、その意味を検討して安全保障政策形成の全体像を示す作業を行った。 まず、6月までに米国国立公文書館をはじめとする資料収集作業を終えた。これをもとに、当該期の米国政府内の政策決定過程を4段階に分けて(1943-1945年、1946-1948年、1948-1950年、1950-1951年)、それぞれの時期に米国政府が戦後日本の安全保障をどのように考えていたのかを検討した。同様に、日本政府内の政策決定過程については、外務省の安全保障構想を土台に吉田茂首相がブレーン・グループの調査検討を参考にしつつ戦後日本のとるべき方針を固めていく過程を、戦時期の戦後構想を含めて3段階に分けて(1943-1945年、1945-1949年、1949-1951年)詳細に分析した。最後に、両政府の交渉のなかから日米安全保障条約と行政協定が生まれ、漸進的再軍備の方針が検討される過程を検討した。 以上の作業を通じて、本研究は、戦後日本の安全保障のありかたをめぐって存在したさまざまな選択肢を示し、その背後にある日米双方の戦後構想や安全保障観に着目した。結論としては、第一に、日米間には戦後日本構想、あるいは戦後アジア構想についてかなりの一致がみられたこと、第二に吉田の指導力によって、戦後日本の安全保障政策が成立したことが指摘される。
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