2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
02J10112
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Research Institution | Sophia University |
Principal Investigator |
杉村 美佳 上智大学, 大学院・文学研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 一斉教授法 / 教育方法史 / 教場指令法 / School Tactics |
Research Abstract |
本年度は、明治初期にアメリカから移入された日本の一斉教授法が、どのような教育状況に対応して生み出されたものであるのか、その起源をより明確にすべく、サンフランシスコ市とセントルイス市において一等級一教師の等級制一斉教授法が成立する過程を検討した。研究成果は、1.「1870年前後におけるサンフランシスコ市の初等教育-『東京師範学校附属小学教則』(1873年)の背景にある教育状況-」(日本比較教育学会第39回大会、2003年6月)、2.「ミズーリ州セントルイス市における一斉教授法の成立過程-等級制学校への移行とSchool Tacticsの採用を中心に-」(『アメリカ教育学会紀要』第14号、2003年11月)において報告した。 1.では、1870年頃のサンフランシスコ市では、オスウィーゴー運動の本来の理念が伝わらず、カルキン(Calkins, N.A.)の形式的な授業法の影響のみを受けており、一斉復唱は注意深く行われなければ有害であると教育委員会が認識するようになっていた事実を明らかにした。しかし、明治初期日本には、必ずしもその見解が伝わらず、お雇いアメリカ人教師スコット(Scott, M.M.)は、カルキンの書を参考に形式化したサンフランシスコの教育方法を忠実に伝え、それが明治初期の復唱を重んじる一斉教授法の受容に影響を与えたのではないか、と指摘した。 2.では、1857年以降のセントルイス市においては、産業化に力を注ぐ中で、管理と教授の効率性に優れ、経済性の高い学校教育を展開しようとした結果、等級制一斉教授が成立し、こうした一斉教授を効率よく進める必要からSchool Tacticsが採用されていた事実を明らかにした。School Tacticsは、明治初期日本に「教場指令法」として移入され、日本の「教場指令法」は、教師による号令中心の画一的、形式的な一斉教授法のありようを規定する情報源であり続けたことを指摘した。 この他、昨年度と本年度の研究成果をまとめ、博士論文「明治前期おける一斉教授法の受容過程」の作成に従事した。
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Research Products
(1 results)