2004 Fiscal Year Annual Research Report
清代中国の文書行政及び皇帝側近集団から見た清朝支配構造の分析
Project/Area Number |
03J01441
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Research Institution | The Toyo Bunko |
Principal Investigator |
内田 直文 財団法人東洋文庫, 研究部, 研究員
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Keywords | 清朝 / 康熙帝 / 満文 / 奏摺 / ミンジュ / 閨閥 / 軍事システム |
Research Abstract |
本年度平成16年8月までの前半期においては、財団法人東洋文庫や東京大学東洋文化研究所が所有する大量の清朝档案の分析を行った。さらに、同年9月から平成17年2月28日までの後半期においては、幸いなことに台湾中央研究院に訪問研究員として受け入れをして頂き、同院の所有する史料群のみならず、故宮博物院文献館が所有する史料群を閲覧する機会を得、その成果の一端として、「清代康煕年間における奏摺政治の展開」(九州大学『東洋史論集』33、2005年4月掲載確定済)を著すことができた。 それは、康煕帝が親政を開始すると、ホンタイジの閨閥であり康煕帝の姻戚でもあった満洲人ミンジュが彼を補佐しつつ、中国的な徳治政治を治世の一方針に執り、経書を理解し漢語能力を有する旗人を抜擢して執政集団を構成した。しかし、執政集団の会議が決議案作成のレベルに反映されないまま、会議の裁決が報告され、なおかつミンジュの親戚朋友関係に審議が左右される弊害が明るみに出た。さらに、朝廷審議の内容に抵触する地域出身の官僚へ諮問することが厳禁されたが、その結果、地方の情報不足をまねき、朝廷審議が有効に機能しなくなった。そのため、審議の参考文書として朝廷内で使用されていた「摺子」の提出を地方官に義務づけ、地方の実情を報告させ、それにより康煕帝と執政集団が審議を行う文書システムが新たに生じた。康煕27年12月に康煕帝政権に正当性を附与していた荘太皇太后が逝去することで、康煕帝は自己を中心とする政権構造へと政権を再編する必要性に迫られ、それまでのミンジュを主とする執政集団を解体し、そのうちの実務能力に優れる満洲人官僚と奏摺を使用したコミュニケーションネットワークを形成した、とのことを明らかにしたものである。 さらに、その論考に続いて、モンゴルジュンガル部との軍事的緊張が高まるなか、皇室の閨閥集団を中心とした軍事システムの充実が見られ、それまでの内閣制度を包摂するかたちで康煕時代における奏摺政治が拡大されていったこと、そうした制度的な転換のなかで、清朝における中央決議機関としての「軍機処」が構成されていったことを論じる「清代康煕朝奏摺政治と地城社会」と題する論考を近刊予定である。
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Research Products
(1 results)