2003 Fiscal Year Annual Research Report
島嶼社会の「近代」経験に関する歴史社会学的研究-小笠原諸島を中心に-
Project/Area Number |
03J03627
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
石原 俊 大阪大学, 文学研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 小笠原 / 沖縄 / 島嶼 / 占領 / 帝国 / 法 / 生活史 / ペリー |
Research Abstract |
小笠原諸島は19世紀前半まで「無人島」であったが、1830年代以降、捕鯨船などの寄港地としての経済的利益を見込んだ入植民、寄港船からの離脱者・脱走者、漂流民、略奪者など、雑多な移住民(以下、先住移民と表記)が集まっていった。かれら先住移民たちは、寄港する船舶を介した交易によって、欧米を中心に拡大しつつあった資本主義的な生産関係に結びつけられつつも、そうした関係の内部には組み込まれていない、相対的に自律した労働・生活を形作っていた。しかし1850年代に入ると、英国や米国、日本などが小笠原諸島に法を導入し、島をめぐる経済活動を帝国の統御の下に置こうとしていく。こうした過程で大きな意味を持ったのが、(1)マシュー・ペリー提督率いる米国海軍東インド艦隊による、小笠原諸島「領有」宣言であり、(2)かつて漂流民として米国に辿り着き、世界中の海と島々において捕鯨船員としての経験を積んだ後、幕藩体制下に帰還を果たした、移動民・ジョン万次郎が、幕府の官吏として参画した、小笠原諸島の占領・入植政策であった。 本年度は、上記(1)や(2)の過程で、先住移民を標的としてどのような法が導入され、先住移民の労働・生活世界がこれにいかに対応したのかについて、分析を行った。使用した資料は、ペリー艦隊乗組員の航海日誌やジョン万次郎の「口書」の他、東京都区内および小笠原諸島現地に赴いて収集した、幕府の官吏の手になる外交関係文書などである。 同時期の沖縄諸島にも、捕鯨船や欧米植民地帝国の船舶が寄港し、「文明」の名の下に、寄港地としての経済活動を保証する法の導入を迫っていた。本研究は、寄港した船舶の乗組員なかんずくペリー艦隊の水兵たちとの接触を通じ、島の人びとがどのような社会変動を経験していったのかについて、小笠原諸島の状況との比較も視野に入れながら考察を行った。 さらに小笠原諸島への調査旅行に際して、先住移民の子孫の人びとのうち、戦前期の小笠原諸島の労働・生活世界について知る数少ない存命者からの、聴き取り調査を進めており、本年度はそのうちのおひとりの生活史を、研究代表者による序論と詳細な注を付して刊行した。
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[Publications] 石原 俊: "<沖縄>の発見1-琉球王国の自己呈示とヤマトからの視線を中心に-"インターコミュニケーション. 46号. 52-53 (2003)
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[Publications] 石原 俊: "<沖縄>の発見2-欧米植民地帝国からの視線を中心に-"インターコミュニケーション. 46号. 54-55 (2003)
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[Publications] 石原 俊: "小笠原諸島における一男性の生活史-ジェフレー.・ゲレー(野沢幸男)さんインタヴュー-"日本のもう一つの先住民の危機言語-小笠原諸島における欧米系島民の消滅の危機に瀕した言語と文化-. 57-97 (2003)
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[Publications] 石原 俊: "レナート・ロザルド『文化と真実』"文化人類学文献事典(弘文堂). (印刷中). (2004)
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[Publications] 石原 俊: "ペリー艦隊と沖縄・小笠原-日米関係で片づけられない島と海の民の出会い-"京都新聞. 6月25日号. 15 (2003)