2004 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
03J04884
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
深谷 訓子 京都大学, 特別研究員(PD)
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Keywords | キモンとペロー / 慈愛 / 慈善事業 / オランダ絵画 / バロック / 図像学 / (対抗)宗教改革 / 古典古代 |
Research Abstract |
17世紀を中心に「キモンとペロー」の研究を行い、本年度は主に以下の数点に関して知見を得た。まず、17世紀初頭のネーデルラントで制作された2点の《キモンとペロー》をとりあげ考察を行なった。ホルツィウスが制作した紋章盾については、それが養老院建設のための資金を集める目的で開かれた競演会のために制作されたことを紹介したうえで、同じく慈善事業と結びついた競演会で上演された劇『愛の鏡』がホルツィウスの着想源であったことを指摘した。造形上の先例として、ニヴェルの木版画からの借用や影響などについても論じ、これまで十分に行なわれてこなかったこの作品の背景と影響源を明らかにした。同時期に制作されたブルーマールトの作品についても検討を加えた。 また、カラヴァッジョの《七つの慈悲の行い》の祭壇画以前と以降で、娘ペローの視線の描き方が異なることに着目して、新たな着想が伝播し、ほかの芸術家たちに取り入られてゆく過程を跡付けた。その結果、カラヴァッジョの描いた「後ろを振り返る」ペローの視線は、マンフレディの作品を介して北方に伝わったことがほぼ明らかとなった。北方の画家で最初にこの新しい工夫を取り入れたのは、ルーベンス及びファン・バビューレンであると考えられる。カラヴァッジスムという国際的動向において、マンフレディの果たした役割の一端が具体的に明らかとなった。 さらに、「成人への授乳」を描き出すため、エロティシズムをも喚起したと指摘される「キモンとペロー」の受容状況についても考察を加えた。神学者たちが絵画における裸体を批判した論拠などを検討し、それらに照らして「キモンとペロー」が如何に捉えられたかを考察した後、市民の財産目録を手がかりに、この主題の絵画が家のどこに飾られたかを調べることで受容の一側面を明らかにしようと試み、この主題が額面どおりの美徳の範例として機能していた可能性が高いという結論に至った。
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Research Products
(2 results)