2003 Fiscal Year Annual Research Report
戦後日本におけるホストネイション・サポートの形成過程とその特質
Project/Area Number |
03J06264
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Research Institution | Rikkyo University |
Principal Investigator |
中村 起一郎 立教大学, 法学部, 特別研究員(PD)
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Keywords | 日米安全保障条約 / 日米行政協定 / 防衛分担金 / 日本外交史 / リーダーシップ |
Research Abstract |
1950年代の日本における米軍駐留経費分担金(防衛分担金)制度の成立・運用課程を分析することで、日本の米軍受け入れ政策と日本の軍備増強政策および財政政策との関連性を検討した。その結果、以下の諸点が明らかになった。 第一に、日本の独立向復によって占領経費負担(終戦処理費)は制度的には終了したが、実質的には日米行政協定第25条に基づく防衛分担金制度に引き継がれていたことについて、当初マッカーサーは全額合衆国負担を主張していたにも関わらず(1950年10月、ウェイク島においてのトルーマン大統領との会談)、ドッジや国防省が米軍の日本の安全保障への貢献を理由に米軍駐留経費の日本側負担を求めたこと、さらに日本側負担は従来の経費の約半額を負担するものであったことが明らかになった。 第二に、しかも防衛分担金は日米間の交渉によって毎年度の額が決定されることから、結果的に合衆国の日本の予算編成への介入につながった。合衆国は防衛分担金を日本の防衛力増強政策と関連づけ、日本が自衛隊(当初は警察予備隊、保安隊)経費を増額しないと分担金が決まらない、すなわち予算が決定できない仕組みを作って、日本の防衛力増強に圧力をかけた。また、分担金額をめぐる交渉過程から、その具体的な圧力(数字)について明らかにした。 第三に、しかし防衛分担金は当時の日本としては非常に重い財政負担であり、合衆国の圧力は日米間のみならず日本国内においても激しい政治的摩擦を引き起こすことになった。それが予算配分の数字合わせを域を超えて国内政治に大きな影響を与えることが数度にわたり、それによって分担金問題の政治的コストの大きさが日米双方に理解されていく過程、すなわち合衆国が日本への防衛力増強圧力を転換し弱めていった過程が明らかになった。
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