2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
03J06825
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Research Institution | Tohoku University |
Principal Investigator |
永井 隆之 東北大学, 大学院・文学研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 戦国時代 / 惣村 / 侍 / 由緒 / 堅田 / 近江国 / 本福寺跡書 / 百姓 |
Research Abstract |
惣村から生まれた侍身分 戦国期において、惣村などの共同体から侍身分が創出されたことが知られる。村の侍については集団・衆として連体していたこと、領主とのパイプ役から共同体を維持・防衛する「器官」として機能していたこと、さらに戦国の終焉により、領主との関係を否定されて、惣村での役割を失い、その存在を否定されていったことが指摘されている。本研究では、このような指摘を踏まえつつ、侍衆と領主との関係とは別の側面、近年注目されている「由緒」の側面から、惣村における侍衆の存在意義について検討した。事例対象は近江国堅田である。 検討の結果以下の所見を得た。惣村が侍身分を生み出した要因は、自己の由緒を強化するために侍衆の由緒を利用することにあった。惣村は既得権を有することの正当性を内外に主張するために侍身分の由緒が必要だったのである。共同体の既得権を正当化する役目を担うこと、それが侍衆の惣村での存在意義であった。その役割を有するが故に、侍衆は実際の侍身分獲得の時期より遥かに遡って自己の侍身分としての由緒を主張することができたのである。ただし、侍衆の存在はこのような公的な機能を否定させる側面も含んでいた。侍衆の由緒は惣村全体の既得権を維持するためだけではなく、その既得権を惣村内の自己の勢力、小惣村に誘導するためにも用いられていたからである。このような侍身分の役割の矛盾を解消させる動きは、本質的には惣村内部から生まれていた。それは侍衆の数を減らし、侍衆が自己の歴史を用いて既得権を小惣村に誘導する側面を排除することを志向するものであった。 これまでの研究では、侍衆と領主との関係から侍衆の惣村の「器官」としての役割を検討してきたが、本研究では侍衆の由緒そのものにもその「器官」としての役割があることを指摘した。また、侍衆の否定については、侍と領主との関係よりもむしろ、惣村内部の問題から説明できることを示した。
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