2003 Fiscal Year Annual Research Report
第一次世界大戦後の南アフリカと南西アフリカにおけるナチズムの浸透と発展
Project/Area Number |
03J08478
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Research Institution | Hitotsubashi University |
Principal Investigator |
柴田 暖子 一橋大学, 大学院・社会学研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | ナチズム / 南部アフリカ / ナミビア / 白人 / 移民 / 人種問題 / 脱植民地 |
Research Abstract |
これまでの研究によれば、1924年にドイツ系住民が設立した南西アフリカ・ドイツ同盟が南西アフリカにおけるナチ活動に大きく関与していたとされているので、今年度の資料収集では、主にこの団体の議事録と年報に目を通した。以下は、その議事録と年報ならびに関連文献から明らかになったことである。 南西アフリカ・ドイツ同盟は、それまで南西アフリカで活動していたドイツの諸協会や文化団体が集合して成立したものである。活動目的はドイツ文化とりわけドイツ語の保護・育成であり、会員はドイツ系の血を引き自らをドイツ人と称する者であった。設立当初は文化団体としての性格を持っていたが、南西アフリカで初の地方議会選挙が開催されることが決まると、議会にドイツ系住民の利害を代表する人物を送り出すため政党に改組していく。しかし、議会でドイツ系住民が過半数を占めたのは、1926年の第一回地方議会選挙のみで、以後ブール人やイギリス人にくらべ劣勢となった。 南西アフリカ・ドイツ同盟の転換期は、始めて大敗した第二回地方議会選挙、世界恐慌による不況、大干ばつが一気に押し寄せた1929年から1930年とみてよいだろう。というのも、年報によれば、1929年では第二回地方議会選挙と学校問題が中心だったのに対し、1930年ではドイツ人の失業者問題や移民に関するものが議論されている。さらにこの年からボーイスカウト活動(のちのヒトラユーゲント)の報告が始まる。 こうした議題の変化は、南西アフリカにおけるドイツ系住民社会の変容もかかわっていた。とりわけ、ドイツ本国からの移民の増加と彼らの失業問題は深刻で、古参のドイツ系住民との経済的格差から対立を生んでいる。この構造は南西アフリカ・ドイツ同盟内部にもたらされ、1933年に古参のフォークト氏が代表の座を追われ、親ナチ派がトップを占めたことにより、この団体のナチ化が急速に進んだ。
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