2004 Fiscal Year Annual Research Report
第一次世界大戦後の南アフリカと南西アフリカにおけるナチズムの浸透と発展
Project/Area Number |
03J08478
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Research Institution | Hitotsubashi University |
Principal Investigator |
柴田 暖子 一橋大学, 大学院・社会学研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 戦間期南部アフリカ / ナチズム / ドイツ系住民のアイデンティティ / ドイツ系移民 / ナミビア史 |
Research Abstract |
第一次世界大戦後に委任統治領として南アフリカの支配下に置かれた旧ドイツ領南西アフリカでは、植民地軍・官吏・警察などを除くいわゆる一般人については特別に残留を許可された。こうして約6000人強のドイツ人が、引き続きこの地で生活することになった。ドイツ人の残留を許可したのは、南アフリカ政府が南西アフリカの経済基盤を維持したかっただけでなく、この時点ですでに白人を支配の頂点とした社会を築こうとしていたためであった。 1920年代には南西アフリカでは白人を対象とした議会の召集が始まるが、このとき外国籍であるドイツ人の参政権が問題になった。白人社会の確立を望んだ南アフリカ首相スマッツは、ドイツ人にイギリス国籍を取得させようとしたが、ドイツ人側からは強い反発が出た。そこで、1923年にいわゆるロンドン協定をドイツ政府と南アフリカ政府で結び、例外的な二重国籍を認めることになった。しかし、その後の法律改正により、しだいにドイツ国籍の保有は認められなくなった。 イギリス国籍を取得したドイツ人は、ドイツ人の利害を反映させるために政党をつくった。これが南西アフリカ・ドイツ同盟である。1931年に南西アフリカに設立されたナチ党の海外組織は、ドイツ人に影響力の強かった南西アフリカ・ドイツ同盟に強い関心を示すようになった。この中で古参のドイツ人と第一次世界大戦後に移住してきた新移民の中で、ナチ党にたいする姿勢の違いから分裂が生じ、1936年に同政党は解散してしまう。 史料によれば、新移民は一度南西アフリカから追放された人の他に、ヴォルガ・ドイツ人など東欧出身者も含まれている。彼らは南西アフリカでの経済基盤が確立していなかったため、ナチ党のイデオロギーに強いシンパシーを感じていた。このような新移民の流入が増えるにつれ、古参のドイツ人の発言力は失われ、南西アフリカ・ドイツ同盟はナチ党の傘下となった。
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