2005 Fiscal Year Annual Research Report
第一次世界大戦後の南アフリカと南西アフリカにおけるナチズムの浸透と発展
Project/Area Number |
03J08478
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Research Institution | Hitotsubashi University |
Principal Investigator |
柴田 暖子 一橋大学, 大学院・社会学研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 南西アフリカ / ナミビア史 / 戦間期南部アフリカ史 / ナチズム / 人種主義 / ナショナリズム / ドイツ植民地史 / 帝国主義 |
Research Abstract |
本年度は研究プロジェクトの最終段階として、これまでに集めた史料や国内外における学会で得た助言などを元に、さらに考察を深めた。具体的には以下のとおりである。 1920年代に議会の召集にかんして、これまでドイツ国籍を保有していた人びとのほぼ八割がイギリス国籍を取得し、南西アフリカ・ドイツ同盟というドイツ系住民の利害を代表する政党を作った。しかしながら、本同盟は設立当初から内部で確執が存在していた。多くのドイツ系住民が南アフリカ政府との政治的な対立を望んでいなかったのにたいし、設立者ブレンナーは、DKGなどドイツの植民地関連団体とのかかわりがあったことからもわかるとおり、ドイツ系住民の利害を「ドイツ民族主義」と関連させようとする傾向が強かった。このため、ブレンナーは1928年に本同盟の党首の座を下ろされた。しかし、ブレンナーの思想は、その頃活動を始めたナチ党の南西アフリカ支部の気を引いた。ナチ党は彼を支援することで、合法的な政党である南西アフリカ・ドイツ同盟をナチ党の傘下に入れようと画策したのである。これが1933年の党首交代劇へと結びついた。このときは党首だけでなく、幹部全員がナチ党員で占められた。 だが、1933年にはドイツ国籍保有者による政治活動が禁止され、ナチの思想に同意しないドイツ系住民による脱退(主にユダヤ系)も相次ぎ、本同盟は解散してしまう。1932年、ナチの思想を支持するドイツ系住民が新たにドイツ・南西アフリカ同盟を設立していたが、南アフリカ政府がナチ党関連団体の活動を全面禁止にし、また1939年から危険人物を収容所へと送り始めたことにより、自然消滅した。 これらのことから、戦間期のドイツ系住民の活動は必ずしもナチ党を支持していたとは言いがたく、むしろ時代の波に飲まれてしだいにナチ化していったと考えられる。
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Research Products
(1 results)