2003 Fiscal Year Annual Research Report
ソヴィエト・アルメニア1920年代における共産党と民族政党との関係
Project/Area Number |
03J10864
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
吉村 貴之 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | アルメニア / ソヴィエト |
Research Abstract |
かつて、ソヴィエト・,アルメニア初期(1920〜23)の共産党と民族政党との関係は主に旧ロシア帝国のアルメニア民族政党であったダシュナク党と共産党の対立を軸に語られてきたが、研究の結果、実際はもう少し事情は複雑であることが分かった。 ダシュナク党政権下の「第一共和国」(1918〜20)の領域は、ロシア革命後の旧ロシア帝国領内の権力の空白によって生み出されたこともあって、首都エレヴァンは当時アルメニア人社会の政治・文化の中心となっていなかった上、近隣地域からの難民の流入で経済的にも混乱していた。そして、「第一共和国」の瓦解で成立したソヴィエト・アルメニア政府は、経済復興のために旧オスマン帝国のアルメニア人エリートを中心にして成立したラムカヴァル・アザタカン党の資金力を利用しようと同党に接近した。 一方、第一次大戦時オスマン帝国下で発生したアルメニア人虐殺で同国のアルメニア人社会が解体したために、ラムカヴァル党は勢力基盤を失い、ローザンヌ会議までには独力で「アルメニアの故郷」を建設することを断念し、ダシュナク党に対抗しながら、ソヴィエト・アルメニアに影響力を及ぼすためにソヴィエト政権に接近していた。このため、両者の中間にいたダシュナク党は孤立し、23年11月23日にソヴィエト・アルメニア内での解党に追い込まれる伏線となった。 結局、ソヴィエト・アルメニアは、ブルジョワ政党ラムカヴァルとソヴィエト政権との思惑の交差の上に「アルメニアの故郷」としての体裁を整えていくことになるのである。
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Research Products
(3 results)
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[Publications] 吉村貴之: "アルメニア民族政党間関係とソヴィエト・アルメニア(1920-23年)"スラヴ・ユーラシア世界における国家とエスニシティ. (印刷中). (2004)
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[Publications] 吉村貴之: "アルメニアの政治状況とアルメニア革命同盟"第1回国際アルメニア学会にて報告. (2003)
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[Publications] 吉村貴之: "総力戦とジェノサイド〜アルメニア人虐殺の諸側面"国際シンポジウム ジェノサイド研究の最前線. (2004)