1994 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
04801045
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
保田 孝一 岡山大学, 文学部, 教授 (60032687)
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Keywords | 対露皇室外交 / 満韓交換提案 / シ-ボルトとリハチョフ提督 / リハチョフ文書 |
Research Abstract |
1992年夏、ペテルブルグのロシア海軍史料館で発見した1861年の露艦対馬停泊事件にロシア側の一次資料に基づいて、当時幕府の非公式の顧問だった有名なフォン=シ-ボルトがこの事件を解決するためにどのような役割を果たしたかについて研究した。ロシア側の資料には、外務大臣コンスタンチン大公から、東洋艦隊司令長官リハチョフ提督への手紙・リハチョフからコンスタンチン大公への上申書・箱館駐在のロシア領事ゴシケヴィチへの手紙・リハチョフの部下で対馬に停泊した露艦ポサードニク号艦長ビリリョフへの命令書などがある。またシ-ボルトが横浜と江戸からリハチョフ提督に宛てた5通の手紙(独文)も同海軍史料館のリハチョフ文書のなかに入っている。リハチョフからシ-ボルトに宛てた2通の手紙(仏文)の控えも残っている。シ-ボルトがこの件で幕府に宛てた手紙(蘭文)は1通、東京大学史料編纂所のシ-ボルト文書に入っている。これらの一次史料を読むと、シ-ボルトが、ロシア側からも、幕府からも尊敬され、重視されていたことが分かるが、シ-ボルトが親日的・親露的立場から事件を解決しようという日露両国への提言は、事件を解決するために直接の効果はなかったと言える。 明治時代の日露両国の皇室外交は、日露戦争の前にも後にも活発で、両国の皇族や重臣の相互訪問がしばしば見られた。たとえば日露戦争前に訪露した皇族には有栖川宮熾仁・威仁両親王、小松宮彰仁親王、閑院宮載仁親王らがいる。ロシアからは、アレクセイ大公・アレクサンドル=ミハイロヴィチ大公・キリル=ヴラディーミロヴィチ大公らが訪日している。訪露した最大の政治家は伊藤博文である。かれは生涯に3回訪露した。かれの持論は日露戦争を避けるための満韓交換提案、つまり韓国は日本の、満州はロシアの影響下に置くという提案であった。
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[Publications] 保田孝一: "ロシアの共同体と市民社会" 岡山大学文学部研究叢書. 8. 1-205 (1993)
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[Publications] 保田孝一: "ニコライ二世と明治の日本" 日露200年-燐国ロシアとの交流史. 81-94 (1993)
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[Publications] 保田孝一: "シ-ボルトとロシア" Siebolds Florilegium of Japanese Planto和文解説篇. 73-78 (1994)
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[Publications] 保田孝一: "明治時代の日露関係-皇室外交と満韓交換提案を中心に-" 講座スラブの世界. 8. 36-61 (1995)