2004 Fiscal Year Annual Research Report
北中国農村社会における共産党体制の成立-1930年代〜1950年代-
Project/Area Number |
04F04015
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
天児 慧 早稲田大学, アジア太平洋研究科, 教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
NGO Minh-Hoang Thi 早稲田大学, アジア太平洋研究科, 外国人特別研究員
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Keywords | 中国共産党の革命 / 山西省 / 西陽県 / 屯留県 / 北中国の農村社会改造 / 地方エリート / 信用 / 地方幹部 |
Research Abstract |
研究のテーマは、1937年から1950年代までの中国農村において、中国共産党がどのようにして政権を樹立し、農村の集団化を通して社会を改造し、農民意識の改造に取り組んだかという問題である。 ケース・スタディーとしては、西北地方の山西省のいくつかの農村を対象とした。ここでは、まず1934年〜44年の抗日戦争期における共産党の農村浸透を考察した。県レベルの地方幹部が末端の農村に派遣され、農民幹部をリクルートし、村民を巻き込んだグループを組織した。従来村民の間では農業の共同作業があったが、グループ間でしばしば紛争が起こった。新しいグループの中で、共産党は労働・生産手段の等価交換方式を用いて農民間の紛争、いざこざを解決し、さらには作業に対する報酬面で村民も発言権を持つ方式を取り入れるなどし、村民内での共産党の信頼を大いに高めた。もちろん失敗し共産党が孤立化するケースもあった。 同じ山西省の屯留県の農村社会改造のプロセスを見る。1937年から48年まで共産党は、抗日戦争積極分子と地方エリートとの協調、友好的な関係によって支えられ、彼らの代行的な役割によってリーダーシップを発揮していた。しかし、1947年の内戦期に、地主の土地没収などを掲げた土地改革を推進し、農民の動員がうまく機能しなかった。共産党は農民間のネットワークを利用し、地方の紛争を引き起こしたが、農民は服従しなかった。48年以降の共産党のやり方は、まず地方幹部を掌握し、彼らの思考様式を改造し、彼らに党の革命政策を信用させることによって、政策の浸透を図ろうとした。
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Research Products
(2 results)