2004 Fiscal Year Annual Research Report
悪の克服の可能性を開くための哲学研究-ポール・リクールの思想を手引きとして-
Project/Area Number |
04J01027
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
山内 誠 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | 悪 / ポール・リクール / ジャン・ナベール |
Research Abstract |
平成16年度においては、ジャン・ナベールによる悪の哲学について重点的に研究した。この研究によって以下の点が明らかになった。 1 ナベールの、特に『悪論』において展開されている悪の哲学は、カントの『単なる理性の限界内における宗教』の理論を批判的に受け継ぎながら、根元悪への問いをより徹底した仕方で追求している。カント以上に徹底した仕方で、とは要するに、カントが人間の根源的な善性を無批判に前提することによってその極限に至るまで追求することのできなかった人間の悪性を、ついには自己性と同一視できるほどに深く追求したということにある。 2 ナベールの悪論の最も大きな特徴の一つは、それが「諸意識の断絶」という意識の複数性の発生と同時的である本質的悪に、あらゆる種類の悪の根本的な根を見出したという点にある。意識の複数性と同時的であるということは、他者と切り離されたものとしての自己性、それゆえ罪ある自己性の発生と同時的であるということを意味する。つまり、自我と他者との間に区別を設け、両者を始原的な相互性の関係から排除してしまう原因性のはたらきこそが、本質的な悪なのである。この洞察は、悪の克服の可能性が本質的に、他者との出会いの内に求められなければならないということも同時に明らかにする。 3 悪の克服としての他者との出会いという主題は、ナベールの遺稿である『神の欲望』の内に、「赦し」の問題として論じられている。それによれば、赦しとは、他者から蒙る悪を進んで自らに引き受けることに他ならない。ただし、それはすべてを赦しうる権能を持った全知全能の神を前提するものではない。むしろ、赦しを可能とするのは、共に無力な人間同士の間に生じる一つの「証言」としてである。そして、この証言の「解釈学」を通して、赦しは単なる出来事以上のものとして歴史のうちに刻まれ、ある種の共同性を得ることになる。
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