2004 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
04J01074
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
林 智信 京都大学, 大学院・人間・環境学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | イスラーム / 法人 / 近代資本主義 / 時間意識 / 永続 / 非連続 / 会社 / 貨幣 |
Research Abstract |
貨幣は近代を基礎付ける重要な媒体であるが、前近代において貨幣経済を最も発達させた文明のひとつはイスラーム文明にほかならない。にもかかわらず、イスラームは、なにゆえ近代的な資本主義に発展させなかったのか。貨幣のみならず、様々な商業制度・技術において前近代最高水準の商業文明を築き上げておきながら、イスラームが資本主義を近代に接続する形で発展させなかったのはなぜなのか。 以上が、本研究が本年度、中心的に取り組んできた問いである。こういった問いに対して、それはイスラーム法が近代資本主義の中核をなす法人という制度を認めなかったからだ、という結論がさしあたりえられるが、この暫定的結論は、なにゆえイスラームは法人を否定したのか、という疑問を即座に呼び寄せる。契約を基礎とする社会においては、必然的に法人に類する制度が要請とされるにもかかわらず、イスラームはそれを拒絶したからだ。その拒絶を促したものとは何なのか。 それは、「時間とは本来的に非連続的である」というイスラームの原子論的な時間意識にほかならない。これが本研究の与える解決である。法人という制度は、その本質において「永続的」であらざるをえないが、その永続性こそが、イスラームの根底にある非連続的な時間観に激しく抵触するのだ。アッラーの超越性を可能な限り厳密に保持しようとすればするほど、時間は一瞬ごとにアッラーの創造に委ねられている、という考えに漸近せざるをえない。それゆえにイスラームは、その商業的な繁栄にもかかわらず、永続的な法人を主体とする近代的資本主義の母体には遂になりえなかったのである。 こういった結論を、貨幣はなぜ通用するのか、貨幣はいかにして近代社会(近代資本主義)を基礎付ける媒体となっているのか、という本研究の本来的な問いへと差し戻す作業が今後の課題として残されている。
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